ボンボリガーデン takemotojoe’s blog 竹本穣

ミュージカル(台本と歌)、朗読劇、人形浄瑠璃

人形浄瑠璃 「闇襖反古縁(やみぶすまほごのゆかり)」脚本

#おうちで浄瑠璃 #おうちで文楽 #おうちで義太夫

 

竹本穣 作

 

人形浄瑠璃

 『闇襖反古縁 (やみぶすまほごのゆかり)』

  

○場所

一 下谷七軒町・橘勾当稽古屋内

二 浅草鳥越明神境内

三 浅草田原町・呉服音羽屋内

四 下谷七軒町・橘勾当内

五 上野山不忍池

 

○人物

橘勾当(八千代)

養女お縫

呉服音羽屋奉公人左右吉

呉服音羽屋主人忠兵衛

番頭源蔵

手代又七

音羽屋隠居孫右衛門

薬種升田屋与平

 

 

 

 天道の道あやまたぬ理が如く、明くればうつつ然れども、諸行成行き慣ればなり。飽く物種の芽を摘めば、明かざる浅き夢模様。つらつらうつらうららけし、刻の午睡の覚束なさ。淡き光ぞ泡立ちて、青き草木を遍はす。空より降つる蟲がごと、ざわめく春の胸陽炎。天の一字を冠に、戴く蚕の吹く糸も、春の産が良しと聞けば、繭の玉にも籠りたる、奥ばゆかしきうす明かり。誰ぞ瞬くものをかや。 

 

一  橘勾当稽古屋内

 

 名に恥じぬ、水のかたどる三味線堀。板塀籬越え渡る、絹より来つる弦の音。芸は身を助くる程の節回し。長唄端唄の音曲に、行春手練の景をなす。座敷小暗き上の座に、口伝教授の橘勾当。向ふ日向に映へて坐す、花の小袖の生娘が、ともに母子と見紛へど、血を分く縁の鳴き交わす、声が証拠の師と門弟。辛き叱責飛ぶよりも、早き渡りか引く鳥の、音を上げ暫し繰り返へす、お縫が指の縺るれば、勾当苦言も良薬と、飲ませる養女のいとおしさ。

橘勾当「ナァお縫や、三味線弾くも構へが大事。背から二の腕指の先、すべて上手の事始め。よき勘所も因って附く。手違ひの運びも、身に堰あつては、淀むばかり。盲(めしい)といへど隠れなき、そなたの悪しき身の姿勢、手に取るまでもないほどに」

 と、たしんなめ、

橘勾当「サァサァ、二の糸巻きは目の高さ、胴傾けて長手をささえ、添へたる右手(めて)に力みなし。ツボの押さえ、撥先きと、弾き語る性根の冴えの三つは一体に」

 と、にくからず、身に沁むほどに、お縫手際の四苦八苦、末たへかねて、

お縫「お師匠さん、出来の悪い弟子でさぞ懲りましょう。芸事の才もなし、言われた事も身に附かず、サワリは師匠の胸ばかり。とりもなおさず、聞き分けのなければ身寄りなき赤の他人のこの私を、里の因果で引き取って、挙句に身の丈余りの嗜み、有難ひやら恥入るやら。三味の構へもつい強(こわ)がちに、手を患わせるうつけ様」

 と恐縮至極。師は師なりに、出来の悪い子ほど可愛い母の道理。

橘勾当「そんな遠慮が上達せぬ元。腹を痛めた子でなくとも、そなたは歴と我が娘。いずれは教授先のかねて目星の武家か良家の縁を得て、恥がましなき花嫁に仕立ててこそ、師となれ母となれ、それよりむしろ母として、我が不自由な身にあれば、満足に親らしきこともしてやれず、かへって事の細かい気の遣ひやうに、わが子の器量、心にくいほど。感謝こそすれ身に余る、世話なる母の不甲斐なさ。せめて師としてなす術を小言にかへて紡ぐゆへ、どうか骨に織り、身に着けておくれ」

 親の願ひは子の肥やし、注げる情は水のごと、しんしん滲むる胸の谷、やがて泉と湧きいだす、目もうろうろと目頭にまで至りけり。

 日なが移ろふ界隈を、織りこむ機(はた)は乙な糸。打(ちょう)と発止(はっし)の爪ハジキ。徒な燕もいさむらし。口の浚いもチントンシャン、博徒も打たぬ撥当り。二上り駒は骰子(さい)次第。三下り駒は振り出しに、四つなる猫の皮切りに、五音こわねで躓ける、稽古双六七転び、八起きで九闘苦戦して、十で上がりの総仕上げ。

 三味の調子に導かれ、丹塗りの担い箱ひっさげて、訪ふ行商薬売り。

升田屋与平「御内儀様はいなさるか」

 と、声を掛ければ、橘勾当、天神に弦を巻きつつ、

橘勾当「何方(いずかた)に」

与平「イヤイヤいまほど三味の音、頼りに爰(ここ)までたどり着き、見れば棹折る稽古仕舞ひ」

お縫「お薬の行商と見受けますが」

 と、それとなく養母に伝ふ娘ぶり。

与平「駿河薬種商でござります。このたび私ども升田屋が六霊膏(りくりょうこう)なる薬を作りました。江戸に店持つ濫觴(らんしょう)に、神田惣録屋敷へ寄り、皆様にお試しいただき、聞くに及んで三味線堀。目病みの効は証し済み。もと正眼と聞き伝てに、勾当様にはいかがと試行喧伝に参った次第」

橘勾当「しかと見えよと思へねども、駿河ときいては放っておかれぬ」

与平「お師匠様も同郷か」

橘勾当「とんと覚えもわずかなれど、もとは城下の町娘。峠の茶屋の縁伝い、江戸は神田の棟梁に、嫁ぎ来したる棟長屋。ようやく男子を得ての細(やせ)所帯、小さき幸の暮らしぶり。ときに襲へる火の厄災、みるみる軒を舐め尽くす。寝入る夫と子を助け出さんと、火の粉や煤の降りしきる、劫火の中を分け入るも、髪は焦げ目は焼け爛れ、為す術もなく、市中一網打尽の焼け野原。一家離散に残りしは我が子大事の嘗人形(なめにんぎょう)。故郷に戻り養生するも、一向消えぬ目の翳(かげ)り、終(つい)に光明立ち消えに、手練の三味が幸いと、身寄りなき児を引き受けて、今の住まひにいたりをり」

与平「コレハ辛い身上呼び起こし、お詫びの言葉もござりません。ひとつこのサシ薬、里の誼(よしみ)只匁(ただもんめ)にてご奉仕。六霊膏と名の謂われ、寒水石に炉眼石、金銀抗中産なれば、鉱物一の貴薬なるを、竜脳黄連薬草に、真珠の粉を混ぜあわせ、加へて緑青古文銭、六つが秘薬を白蜜で、煉ってあわせたサシ薬。水に浸して試しあれ。その効能と問われれば、目を明(めい)にして翳(えい)を去り、赤を退け湿を治め、爛れを除く。ただしその特効なれば劇薬につき、決して経口せぬよう取り扱い、ごく少量にて足る按配」

橘勾当「心得ましょう、有難く頂戴。それより今はなぞり得ぬ景色、なんぞ里の異変を聞かしゃらぬか」

 と、娘時分の城下町、白雲渡る松林に思ひ馳す。

与平「いまもって田舎風情にかわりなし。さてもお師匠様はご存知か、往ぬる道々出会ひたる、峠の道の物の怪を。近づく気配に振り向けば、小僧がひとり現れて、見る間にぐんぐん背を延ばし、やがて木を越え、雲を突き、おののくばかりに達したる。何する事もなきにとて、あまりの奇怪さに、思ひ出すだに身の毛もよだつ」

橘勾当「ソリャ見越し入道のことかいな、なんら恐るるにあるまいに。しばし足許見据へてやれば消え失せると聞く」

 と、笑いまじりにいなせど、傍らでお縫が打ち震へ、師の袖に縋りつき、顔を埋めつくさんばかりの有り様に、膏薬売りも笑みを禁じ得ず、

与平「娘さんまで怖がらせて、相済みませぬ。どうやら今日は罪深い、割に合わない小商ひに付いたもの」

 と担箱から紙風船、ふうっとふくらませて、お縫に差し出す。

与平「これで機嫌を直してくだされ」

 と物売り講釈そこそこに、三味線堀を立ち去りぬ。

 もう一人前の娘かと思へば、まだ女児(こども)、紙風船を突いてはしゃぐお縫の嬌声がふと畏まる。つかのまの風止みに、足痛(あしひ)きの音ぞかすかに聞こえたり。

左右吉「音羽屋の左右吉にござります。お師匠様よりご所望の振袖をお持ちいたしました」

 かねて出入りの呉服屋の丁稚とはいへ、その身ごなしに、不憫やら禍々しいやら心地して、かててくわへてお縫への恋慕の気配察されば、因(ちな)み能(かな)わぬ口裏に、

橘勾当「わざわざ届けてくれずとも、出稽古の折りに寄るものを、他の者はをらぬのか、足引く大儀聞くにつけ、買入れ直に喜べぬ」

 と、邪慳も労(ねぎら)ひの意を酌みて、

左右吉「なにはあれ、お師匠様にお目にかけ、イヤお手許にお持ちしたく馳せ参じた次第にございます」

 と袱紗(ふくさ)の包みをとくあいだ、お縫に物言ひたげな目の遣り場。奉書開けば一目に、着物の上に付けし文、お縫がさっと抜き取るのを見はからひ、

左右吉「いかがでございましょう、綾目も芳し振袖の、お師匠様のお見立てに、添ふ仕上がりと存じます」 

 と、押しいだす。勾当着物を手にとって、

橘勾当「どう、お縫や、これを湯島の大ざらいに着ておいで」

 と、お縫に袖をあてがへば、

お縫「お師匠様、これを私に下さると」

 呆気にとられ、撩乱迫る誂えをためつすがめつ見惚(みと)れいる。

橘勾当「稽古のほかは師と呼ばず。師弟がうちのつけとどけ、人聞き悪しも、親なれば、虫つくことが何より懸念」 

 と、窘(たしな)め言もほどほどに、お縫が喜ぶ有り様をとくと思ひ巡らせて、味わひ難き親心。

お縫「母様(かかさま)こそ意地悪。私をこんなに吃驚(びっくり)させて、ほんにお縫のものと思ってようございますか」

 息もうまくつけぬほど、娘の嬉々とした喜びようが、一体何にかえられよう。

左右吉「お縫さんのはしゃぎようこそ、呉服屋冥利に尽きるといふもの。ここは親子水いらず、晴着談義に花を添へるが一番。とっとと厄介払いいたしませう」

 とお縫に目配せをして、居を発ちぬ。

 歓喜の熱も冷めぬまま、お縫に説いて聞かせるは、勾当師範が役得に、僥倖狂いなき手札。

橘勾当「その振袖はただの飾りとは違ふ、実を言へば、明後日の湯島の大ざらいには多くの弟子が参らするが、なかでも武家溝口様の嫡男、義之助殿が、そなたを見初めていさっしゃる。気に召さるるも、召さらぬも、女めかしき身嗜み、氏より育ちの立つ時世、たんと芸立つ筋を見せ、稽古も精進しておくれ」

 といへば、お縫は返事も上の空、左右吉からの付け文を、披見し文面流し読めば、春闌(た)く候の長閑(のど)けしき、うちにも叢(むら)ぐ薄雲の、俄(にわか)に暗くなりにけり。 

 

二 鳥越明神境内

 

 掘割を通ふ水音、消へがちに。往来の、逢魔が刻のせわしなさ。擦れ違ふ顔も見分けのつけ難く、家路を急ぐ衆庶の中、ひときわ後ろめたさに掻き暮れる、お縫が姿。町のはずれの杳として、この刻誰れもとり越さぬ、惚れ合うた仲でなければ引き合わすこともかなわぬ杜の中。

お縫「左右吉様」

 と声を掛ければ、

左右吉「お縫、よくぞ来てくれた、不粋承知で付け文に、無心の沙汰の烏滸(おこ)なるも、まったく面目ないかぎり」

 と、お縫の手を取れば、

お縫「よくよくの事と思へば、さんざんに悩みに悩んだ末の工面。どうかこれにて火急を凌いでくださりませ」

 と、金子の包み手渡せば、

お縫「願わくば、調達口を問わず語らずに」

左右吉「合点した、そなたが残す金子のぬくもり、値にまさる持ち重り。有難く借り受ける、返済はきっと、恩は忘れぬ」

 と、いとおしげに抱き寄せて、

左右吉「忝(かたじけな)き事の経緯(いきさつ)、迷惑をかけるが、切に容赦。そなたも知るごとく、音羽屋主人は我が父の忠兵衛、音羽屋一人娘のお菊のもとに入り婿養子縁組が不和の素。もと音羽屋の大旦那孫右衛門の一人娘、今は養母のお菊は先の主人を亡くし、子も得なかった後家の身の上に、男鰥(おとこやもめ)の父忠兵衛が婿入り養子縁組で、今や音羽屋の主人。倅の私は、義理の祖父孫右衛門からのれん分けの約束を得るも、先代からの奉公人の目もあって丁稚働き専(もっぱ)らが、かへって傍目(はため)に癪なるか、養母お菊への横恋慕もあるやなしや古参の番頭源蔵は面白くない。折りにつけ婿入り父子への恨みつらみの面当たり。挙句に帳簿勘定の尻が合わぬといひたてて、すべてが主人忠兵衛の仕業となすりつけ、しくじり明かす企み事。大旦那に知れれば沽券大事の商家ゆえ、父子共々に放逐を余儀なくされること必定、幸い謀議を聞きつけば、未然に防ぐ用立てを、そなたに無心の沙汰次第」

 と、藤の英(はなぶさ)たわわなる、小枝をひとつ手折るなり、お縫が胸に差しやって、

左右吉「サァ夜も、じきにとっぷり暮れ行こう、この藤紫が、そなたの足許を照らしてくれやうか」

 と、連れ添って、送る逢瀬はかりそめにあらずや恋の後ろ影。寄りつ添いつのそぞろのうち、離れ難きを喉の奥へ押しとどめ、

お縫「つぎの逢瀬は」

左右吉「春永に」

 と見送りつつ、しばし未練に玉梓の妹の行方を見届けて、思ひまかせぬ歩みの先へ、とっては返す商家店。

 

三 呉服音羽屋内

  

 とうに見世棚仕舞へども、燭に灯りの勘定台、番頭源蔵算盤の、発てたる音に気遣ってきた内儀のお菊に、

源蔵「ご心配なさらず、まだ勘定の残ってますゆえ」 

 と忠義掛け売る言訳に、手代又七引き据へて、大福帳を読み上げる、額(ぬか)を寄せての謀り事。

又七「伊勢屋十両、和泉屋九両、島田屋二十二両也、小池、柏屋同じく五両、黒田屋十七両では」

源蔵「六十八両、反物仕入れが四十二両、しめて百十両、間違いなし」

 帳尻合わぬと騒ぎたてたる又七の未熟をなじり、これでは婿の咎めだてすらかなわなければ、

源蔵「又七またも読み違へたか」

 と、御用金書付帳をのぞきこみ、

又七「どこに読み違へのあるものでしょうか、あらば帳簿の文字にこそ御主人が筆の祖末なゆえ」

 と、勝手な言い訳。かさねて墨入れ上手が商人の、格になぞらふと先代の繰り言。小言をまじえつ墨を入れ、

又七「そもそもが徒な目論見に、謀(たばかり)事は何事も、労少なくして功も得ず」

 粗忽を託つ言い草を束ねて刈ってやらねばと、

源蔵「この痴れ者が。もとはお前が誤算。帳尻合わぬと捲った浅知恵をあたふた持ちかけたのが始まり。とはいへ俄か主人の面の皮を、仕置きの鏝(こて)で鞣(なめ)してやれぬのも口惜し。ましてや大旦那様に漏らした手前、かえって不首尾のとばっちり、我らに跳ね返らぬともかぎらぬ。又七、そこなる反物をこっちへ」

 と、密かに手から手へ、艶めく一反を机の奥へ押入やり、

源蔵「こうして仕入れの不足が祟ったゆえ、帳簿の不始末。わずかな瑕疵(かし)といへど、以て未熟の棚捌き、大店主人の信用揺するに足る、露見したとて笑い草」

 と、煙管打ったる主人面。板戸の音に居ずまいを取り済まし、がらりと、

源蔵「これは大旦那様、お帰りなさいまし」

孫右衛門「勘定し直したのか」

 と、湯上がりたての火照り顔、機嫌のうちをはかりかね、

源蔵「へえ大旦那様、すうっと算盤を弾きましたところ、御用金に間違いはございませぬが」

 源蔵、又七、見合わせて、

源蔵「溝口様よりご所望の、黒羽二重の用意にと、仕入れた黒無垢一反が見当たりませぬ、ご主人の書付け違ひかと思われますが」

孫右衛門「忠兵衛がこと、そんな抜かりはあるまいに」

 帳面むんずと引き寄せる、孫右衛門が肩方に番頭進言して、

源蔵「不審はこれのみならず、帳簿に改竄(かいざん)の墨の跡、脇目も油断もなりませぬ。用心、用心。—國に賊(ぬすびと)、家に鼠、後家に入婿いそぐまじき事なりーとは西鶴永大蔵の喩えよう。

 永らくの隠居暮らしの穏やかさ、不穏の足音聞かざれば、豈(あに)図らんや、さもありや、目はうろたえの雲行きに、燭の灯揺らす隙間風。音もたてず戸を開く、左右吉忍ぶ跛(あしなえ)に、荒ぶる息をととのへて、

左右吉「只今、戻りました」

 と、うちわけ見れば、鳩首の態。孫右衛門が呼び止むるに、もしや遅かりしかと気も急いて、

左右吉「これは大旦那様まで店中に、いかがいたしました、不祥事にでもございましたか」

 と、勘を括れば、

孫右衛門「呉服音羽屋といへば、市中屈指の店舗(みせ)、お上諸衆の御用申しつかるも、全う無類の商ひ身上あればこそ、御膳にしても同じこと、お客の舌を打たせるも仕込み誂えが肝要、お前が父の忠兵衛には、その才量のほど計りかねているところ」

左右吉「もしや、帳簿の尻仕切り合わぬことなれば、心慮くだすな、言い付かって爰に」

 と懐ろから金子の包み取り出だし、

左右吉「主人より万一が時の預かりもの、賊入ることがなきにしも、火の立つことがなきにしも、と当座家人使用人の養ふ支度、勝手ながら案ずる手立てに」

 と出任せ事も必死。合点ゆかぬは一同の気にも揉めたる的の外れ、ますます訝しく、

源蔵「はて面妖な、ただ今、揃った勘定も元の木阿弥。丁稚風情に家業大事の有り金を、託す道理も筋違ひ、ご隠居番頭差しおいて、見世身代への無分別、案ずる手立てとは戯言(たわけごと)。いっかな解せぬ解せぬ、不得手勝手放題の口、使途も不明なれば、ついには先代の名を汚すことにもあらなくに」

 とつらつら述べる諌め言。孫右衛門は金子をためつすがめつ検分して、

孫右衛門「忠兵衛はいずこに」

源蔵「日本橋まで商用とやら」

孫右衛門「左右吉、お前いったいどこからこれを調達したか、見れば包みは質屋桔屋八重の紋、忠兵衛からの預かりなれば、愈々問い質さねばならぬが」

 と聞き分けもよく諭しつつ言い寄れば、

左右吉「親旦那には関わりなき、手前勝手の所存にござります」

孫右衛門「分限に過ぎる金五両、いかに工面した」 

 金子の包みを突き出され、左右吉頑なに押し黙る、サァと催促目の前に、握る金子のきりきりと、口外無用の約束に、益々募る痛ましさ。

源蔵「大旦那様、扨は紛失したる一反が、化けて出でたる癖者か、コリャ一大事。溝口家義之助殿の黒二重、近々執りなす祝言の備え、お相手勾当方の養女お縫なる娘を娶るゆえ、織りあしらいはまかせるとのお言付け、かくもめでたき素地にして、質草となったとなれば、験(げん)悪しき事千万」

 と番頭源蔵の言面に、左右吉面差し火がさして、

左右吉「祝言とは誠にござりますか」

 とやうやく発した一言に、

源蔵「存じておろう、お前は先にも勾当方へ振袖一領遣ったはず」

孫右衛門 「いずれにしても左右吉、お前の奉公ぶりに目をかけてきたつもりであったが、見世の品に手をつけるとはもってのほか、帳尻あわせの質通ひなど、商人にあらざる振舞、叱責放免つゆならぬ。主人が帰宅を待って、その責が所在ともに講ずるか」

 と言い絶つ先に、

左右吉「大旦那様、父を思へば為した所業、責めは一重にわれひとり。とりもなおさずこの身の愚かさ、拭ふ手立てはないものの、まず不始末は身をもって明らかに」

 と戸を開け放ち、飛び出だし、残す灯影の揺るるのみ。咄嗟のことに為すすべなく、しばし見交わす源蔵又七孫右衛門、隠居戸口を出で見れば、跡形もなし宵の闇。月をたよりにと見こう見、見ゆるははるか駕籠舁(かごかき)の提灯流るるばかりなり。

 

四  橘勾当稽古屋内

 

 空咳ひとつ、またひとつ。実なきほどのかよわさに、余程悪しきと案ずるも、病の床に寄り添へば、親が心地ぞすれよかし。子が臥し寝入る災ひが、やうやく情の捌け口と、なすも縁故のあわれなり。衾(ふすま)より漏るる寝息の荒ぶるも、恋路の沙汰か、親身な看取りの後ろめたさか。まやかしの病とばれる気遣ひは、徒や疎かにするまじと、書いては止め、止めては書きつ行状文。認(したた)むものの捗(はかど)らず、はては見苦しさに耐へかねて、

お縫「ナァ母様」

 と声を掛ければ、

橘勾当「まだどこぞ痛むかえ」

 とお縫の額の濡れ布をまさぐる手に手をとって、

お縫「もう熱もなし、心配やるな、母様こそ早う寝てくださりませ」

橘勾当「心配やらねでおくべきか、帰って早々、頭が痛い、腹が痛いと寝込んでしまい、流行病(はやりやまい)かと身を案じ、きついがために待ちわびた湯島の大ざらいも台無しになりねぬ」

お縫「イヤ母様、明後日はまず無理にございませう、大望念願、折角のこととはいえ詮方なし」

 と聞き捨てず、

橘勾当「詮方なしとは気の弱り、きっと明日にはけろりとして。万事兆しは望むもの、望まずいれば、つながるものもつながるまい」

 接穂をとって、

お縫「つながらぬものは望めまい」

橘勾当「ホレ、言った先から口調法、口の虎まで呼び出ださざるともかぎらぬに」

 とお縫の衾を延ばしつつ、

橘勾当「まずはととのえぬかりなく、着物の仕度に」

 と立ちいづれば、

お縫「及ばずに。あれこそ晴にふさわしき、馬子に衣装の一張羅、袖の通しはそのときに、なるべく触れずおきたく思へば」

 と差し止めつつ、

お縫「介抱のほか、あれこれ構ってくれるのを、ほんに嬉しく思へども、かえって咎めて心安く、休まれませぬ。母様こそ休んでくださらねば、われもいっこう寝付かれぬ」

 と嘆願すれば、

橘勾当「さもあるか、偶(たま)が娘の介抱と、とくと親かりたけれども、そなたの体がまず第一、気を揉まさざるも親甲斐のうち、とっくり休んでようなれや、何かござれば呼びかけや」

 と暇どり。親の代わりのありがたさ、あわれなほどに身に滲むる、滲むるがほどの遣る瀬なさ。枕頭の藤の仄明かり、義理に先立つ恋の華、思ひ合う仲あるゆえに、親が手引きの良縁を、袖にしてまで振る袖も、好いた男を救ふがため。情が恋の糧となる、不義理不孝のあらましを、詫び書き付けておくものの、いや増す恋のあだなれば、恩の報いぞ身を捩る。棚に隠せし六霊膏、いざ服さんと手に取って、恐る恐ると口の方(へ)に、近づく刹那の隙間風。庭先音の無ままに、愛おしが増し人影は、すわ春永に左右吉の、手招き身振りに引き寄せられ、聞けば祝言咎め立て、裏切り者の烙印に、質(ただ)すは恋の真相と、なればお縫は書き付けた、心情以て証しとし、合点を得たる左右吉の、恨みなだめる慰めに、声を殺してお互いの泣きつる顔を合わさじと、涙乾かぬそのうちに、なおも覚悟を書き足せば、お縫は母の気散じに、身代(みしろ)に褥(しとね)包み込み、恋の成就を果たすべく、左右吉お縫連れ立って、春が薹立つ宵闇にぞ消えにけり。

 深まるばかりの静けさに、潮の汀のひたひたと、満つるがごとき胸騒ぎ。橘勾当起き出でて、声をかけるも気配なし、床の上の衾触れれば、さて寝入ったかと、寝つきやらねば慰めに、持って入りたる嘗人形、枕に添へて寝穢(いぎたな)き、夜具を幾度も撫で摩り、子守唄こそやさしけれ。細き調べをはたと断つ、打々(ちょうちょう)木戸の打据えに、誰れぞと問へば戸口越へ、音羽屋主人の名乗りあり。いま暫(しばらく)くと錠落して聞きやれば、忠兵衛くぐる軒端先。女主人の勾当の覚えに胸を突かれたり。死ぬるとばかり思ひしが、瞽者(こしゃ)が姿に変わり果て、年季の嵩の紐解けば、紛ふことなき恋女房。

忠兵衛「コレハ、八千代ではあるまいか」

 との声色の覚えに、驚きは勾当も同じ、二十余年も久しきに呼び名呼ぶ声たぐりつつ、姿見えぬが若きまま、夢かあらぬか、かつて焰(ふむら)の餌食になりと思ひ果てど、灰燼の中よりくゆり立つ姿、今爰に往時を告ぐる者のあり、

橘勾当「夢か無礼か存ぜぬが、もしや、忠兵衛さんか」

 つとに信じ難きこと、とて手を握り、締めてはかへす力みばえ、腕にはうねる火傷跡。二の句も継げず、内に引き入れ、どうした因果の戯れに、喜びあふも一時に、

忠兵衛「昔語りはまずあとに、丁稚の左右吉は来なんだか」

 と気色ばみ、

橘勾当「昼間に一度、品を届けに」

 と訝しげなるままに、

忠兵衛「お縫なる娘、そなたの処に居るはず」

橘勾当「生憎(あいにく)病に臥してございます」

忠兵衛「気がつくべくもあるまいが、左右吉はわが倅、ひいてはそなたが産んだ実子の佐吉」

 聞けば動揺隠しおけず、心の底から打ち震へ、

橘勾当「知らで邪慳の節もあらなくに、申し聞きの立ち瀬もなし。ではあの足痛きは火事の折りに、

忠兵衛「いかにも、梁の下より救い出し、今では丁稚の下働き、その子が内の番頭の、謀り事に弄(もてあそ)ばれ、家を出たきり帰らぬに、お前が家の娘御に、祝言の噂聞きつけて脱兎のごとく出でた由、行方手懸かり探らんと、立ち寄る先は、お天道様も隠れて思し召す因果」

橘勾当「こととなれば」

 と床の間に引き具して、

橘勾当「お縫や、お縫」

 と夜具を揺り動かせば、中より出でつ褥の山。

橘勾当「いかにやあらん」

 と慌てふためく指の先、触れし覚えの薬包み、養女の名を呼びつれど、忠兵衛が置き手紙を見いん出し、

忠兵衛「南無三、遅きにいたりしが」

 と声も強張る書付文を読み上ぐれば、勾当の顔色みるみるうちに失せ、心中真偽のほどを諮るべく、長持の内手探れば、置き文慥(たし)かが知れるまで。煮え湯は過ぎて忘るるも、劇薬ならばいかならん。かくにまで決していたる心根を、断ち切らせたが我が身なら、色つけたるもこの体、同じ身にある連理の枝、況(いわ)んや引き裂かれんや、凶事の墨に染めあげて、重ね重ねの吉上を、手ずから失ふ愚にあれば、断腸後悔比類なき。元が伴侶の乱心を、忠兵衛取りなし押し鎮めど、疾(と)く疾く両人の跡をと取り縋る。いかで行方を探るべき、思案懸念ももどかしき、置き文にある大ざらいとは何事と問へば、勾当が門弟湯島にて技倆を披露すると言ふ。応へながらも思ひ巡らせて、今年が春の花見時、お縫連れ立ち行きけるに、上野の山を評するも、薄紅ひの浄土にさもあらん、終にあれば彼のもとへ、と戯れ言を言いつれば、けだし彼の地に違ひなし、さもありやと忠兵衛気負ひ立ち際に、ともに連れ行けと引く袖を、手に手を諌め振りほどき、夜更けてあれば危うきに、と押しとどめるも、気遣ひ無用、いかに夜更けてあろうとも、瞽者に昼夜の区別なし。さりとて二人が先、不慥かなれば、行き処なく、望むべきにや、はからずも帰らぬとも知れず、人気なき間の隙あらば、差す魔が思ひ遂がさぬ用心。と念を重ねて宥めたる拍子、目に飛び込む藤花の一房を手に思ひ改むる。一閃よぎる藤棚は、明神の杜にやあらん、と膝を叩き、三味線堀より流れたる、鳥越川が東方へ馳せ出でにける父忠兵衛。母つ方へは徒(いたずら)に、待つ身のいとど執念(しゅうね)しく、ひしと抱きたる嘗人形。かへすがへすもいとおしさ、子と子を分つ無念さに、降り積む刻を荷負へず、居てど立てども矢も盾も、堪えらぬ闇の底深き、浄土が一歩手前まで、踏み出だせば勝手知る、名馴(なじ)みの三味線堀に落つ、忍川なる掘割を西方一途めざしけり。

  

五 上野山不忍池

 

 縺れあふ足の捌きももどかしく、世につれなき道行の、足許照らす手提灯、一寸先が止むを得ず、出立つお縫左右吉が、影も薄きに行く末を、敢えなく照らすは朧月、二つが影の身をよせて、宛やあらずや不忍の池の畔に辿り来つ。池の蓮の露ほどに、揺れて倦(あぐ)ねて霞みける、命は仮の姿にて、契りかなわぬものなれば、惜しかることもなかりけり。

お縫「左右吉様、その前にひとつ願掛けに」

 とお縫小走る橋掛けに、参るが先の弁財天。朧月夜に浮かびたる、観音堂の飛び石に伝ふお縫が下駄の音。歌舞音曲の芸事に、ご利益ありと伝え聞く。我が身の果つる先のなき諸事はもとより打っちゃって、念じにけるは母様の、御恩御加護に叛きたる、不孝のよすが祓ひ乞ひ、願ひにける師匠への身の安寧は言わずして、芸事の実り豊かを一心に、この身の報いにかへるほど、ひたすら、ただひたすらに諸手を合わせ拝み終へれば、橋の袂に戻り来て、

お縫「思ひ残すこともなきに、いさ」

 と畔を巡りつつ、人見につかぬお山が薮へ分け入れり。上野の山のうち沈む、御本坊の外れ際、鐘楼堂なる時の鐘、傍に聞かんや薮の中、いつにか月も掻き暗れに、提灯の火が頼みに、互いの顔を見る名残り。ひしと抱けば取り落とす、提灯の火が盛るほど、つとにお縫がおののける、瞠目いかにと聞きやれば、見越入道にぞと怖がる口の籠り声。左右吉が背の灯影、みるみるうちに迫り上がり、むっくり入道の姿をなして、薮を覆ひ、天に抜け、襲ひかからんとするほどに、一打雷動耳鳴りがごと時の鐘、肝も潰れんと悲鳴も漏れ出づれば、入道の姿も失せ、提灯の灯の消え入りて、残るは辺り四方の全き闇。二人が他になき世界。しばし心をとりなすまで、互いが腕に腕の中、永劫に斯うしてありたくも、闇が明ければまた憂き世、離れ難きを断ち切って、

左右吉「覚悟はよいな」

お縫「あい」

 と応ふるを潮に、左右吉は腕をほどき、お縫が髪の簪(かんざし)を引き抜き握りなおして、顔が見えぬを幸いと、お縫のもとに振り降ろす。薮音刹那物の怪か、お縫が大きく転ぶ物音に、仕損じたかと手のさぐり、雲間の月の明かりさせば蹲る、胸に簪突き立つ橘勾当。

左右吉「こはいかに」

 と絶句して、

お縫「母様、母様」 

 とお縫は縋りつく。

 胸中抉(えぐ)る簪を、頼りに声を発すれば、

橘勾当 「許しやれ、そなたらが命、可借(あたら)祖末にするなかれ、あの世で契り交わすより、どうにかこの世で交わしやれ。左右吉、いや佐吉、これに見覚えあるまいか」

 と嘗人形を差し出だし、

左右吉「かすかに、いやこれは、私が幼き頃、肌身離さぬ愛着の、嘗人形にやあらぬか、もしや、そなたは」

 勾当深く頭を垂れ、

橘勾当「産みの親とは知らざるに、お縫を娶るが我が子なれば、これほど嬉しきことなきを、それを引き裂き、思ひ詰めれば寂しかる薮の果てへと追いやるも、親が無闇の為し様に、許しやあれ、許しやあれ」

 と簪を引き抜いて、我が子の所業と為さぬべく、おのが喉元突きん立て、息も絶へたる闇の果て。お縫左右吉泣きしだく、声も掠れてとどかざる、目病みの果てのうす明かり、あける襖の彼方より、白々夜の明け初むる、空渡り来る水鳥の、憩ひとぞなる不忍の、池の水面に揺蕩(たゆた)ふは、鳥啼き交わす響きなり。

 

 了