ボンボリガーデン takemotojoe’s blog 竹本穣

ミュージカル(台本と歌)、朗読劇、人形浄瑠璃

ミュージカル 「ノンシャラン駆け落ち道中」

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#おうちでミュージカル

 

[ミュージカル脚本]

ノンシャラン駆け落ち道中

 作・曲/竹本穣

 

 

【登場人物】 

ヒカル(男子)/カオル(女子)

マサル(男子)/執事宮本

臨席者(若干名)

黒服の男たち(7名)

寮生女子(7名)

シスターA/シスターB 

 

 

  1 はなはだ神聖な

 

  教会の中、祭壇らしきもの、中央の高みに十字架、左右にマリア像。場内ゆったりとした教会音楽が弱々しく流れている。舞台前面は中央を割って椅子が並び臨席者が座っている。最前列に新郎マサルが座っている様子。そして厳かな、きまずいような空気の中、神父が掌に人の字を書いて飲みながら現れる。

 

神父 はじめに新婦がお父様とご入場なさいますので、皆様ご起立してお迎えください。

 

  荘重な音楽とともに新婦カオルと新婦の父が舞台袖から現れ、中央をあるいて来る。新郎が立ち上がり、新婦を迎え、二人並んで立つ。

 

神父 賛美歌三百十二番「いつくしみ深き」をサンギョウいたします。

 

  オルガンの前奏。臨席者はあらかじめ渡された紙をもって歌う。

 

(歌1)一同

♪ いつくしみ深き友なるイエス

  罪咎憂いを取り去りたもう

  心の嘆きを包まずのべて

  などかはおろさぬ負える重荷を

 

  いつくしみ深き友なるイエス

  かわらぬ愛もて導きたもう

  夜ごとのわれらを捨てさるときも

  祈りに応えていたわりたまわん

  アーメン

 

神父 どうぞご着席ください……これからご結婚にあたりまして、お二人に誓約をしていただきます。(新郎に)あなたはこの姉妹と結婚し、神の定めにしたがって夫婦になろうとしておられます。あなたはそのすこやかなときも病むときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限りかたく節操を守ることを約束なさいますか?

マサル 約束します。

神父 (新婦に)あなたはそのすこやかなときも病むときも、これを愛し、こいつを敬い、こいつを慰め、こんな野郎を助けてそ の命の限りかたく節操を守ることなんて約束できねえよな!……

 

  新郎新婦、顔を見合わせる。臨席者も騒然。

 

神父 さあ、行くぞ(とカオルに)

マサル いったいなんのつもりですか?

神父 なんのつもり? おまえこそなんだ。

マサル ぼ、ぼくは新郎です。

神父 こっちはシンプだ。

マサル ふん!

神父 おやおや随分甘やかされて育った坊ちゃんだこと。お気に召さないとすぐ拗ねてあ そばせなさる。

マサル なんだとーっ。

 

  拳骨を振り上げるマサルに神父がフーッと息を吹きかけると、マサルはたじろぐ。神父の扮装を脱ぐヒカル。

 

カオル ……ヒカル君……どうしたの、いったい……

 

  「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロが流れてくる。

 

ヒカル (口ずさむ)ハロー・ダークネス・マイ・オールド・フレンド……

マサル ちくしょう、『卒業』のテーマじゃないか。

カオル そうさ、卒業も卒業、卒業式さ。

 

  臨席者一同いっせいに立ち上がり、観客席に向かって直立不動の姿勢になる。

 

臨席者1 入学式の春、

臨席者2 上級生のお兄さん、お姉さんに連れられて、

臨席者3 桜の咲く校門をくぐったのも、

臨席者4 ついこの間のように思い出されます。

臨席者5 あのころあんなに大きく感じられたランドセルも、

臨席者6 いまではまったく感じられません。

一同 感じられません!

臨席者7 目をつぶるだけでも、

臨席者8 いろいろなことが思い出されます。

臨席者9 みんなで力を合せてがんばった、

臨席者10 秋の運動会。

臨席者11 つらくて、きびしい、

臨席者12 冬の日本海

臨席者13 雨がふらないか心配だった遠足。

臨席者14 バスの中できっと誰かがゲロを吐き、

臨席者15 楽しく歌った、歌の数々。

臨席者16 給食を奪い合ったり、

臨席者17 投げあったりして、

臨席者18 先生に往復ビンタを食らうこともありました。

臨席者19 毎朝おはようと声かけてくれた緑のおばさん。

臨席者20 下校のとき、さようならと声をかけてくれた用務員のおじさん。

臨席者21 ふたりはとても、怪しい。

一同 とても、怪しい!

臨席者22 見て見ぬふりして、

臨席者23 薄目で見ながら、

臨席者24 噂が広がり、

臨席者25 緑のおばさん、行っちゃった。

臨席者26 男を求めて、行っちゃった。

臨席者27 そして忘れた頃にやってくる定期検診。

臨席者28 怖かった予防注射、

臨席者29 いやだった検便、

臨席者30 いつも遅くまで練習を積み重ねて、

臨席者31 汗を流したクラブ活動もありました。

臨席者32 全力でたたかった球技大会、

臨席者33 歯をくいしばって走りぬいたマラソン大会もありました。

臨席者34 判らない問題を解きあった勉強会。

臨席者35 みんなで知恵を絞ったおたのしみ会。

臨席者36 みんな活躍した学芸会。

臨席者37 一致団結した五・二六決起集会。

臨席者38 (調子をかえて)こういったァーさまざまのォー、レクリエーションもォー、

臨席者39 かんがみるにィー当局ならびにPTAのォー、

臨席者40 偽善的ィーかつ巧妙にしかけられたァー、

臨席者41 強制的支配体制でありィー、我々は断固としてェー、

臨席者42 (調子を戻して)これまでの思い出を深く胸に刻み込み、

臨席者43 大切にしていきたいと思います。

臨席者44 楽しかった思い出も、

一同 楽しかった思い出も、

臨席者45 苦しかった思い出も、

一同 苦しかった思い出も、

臨席者46 みな懐かしく、

臨席者47 巣立っていくこれからの、

臨席者48 心の糧となるでしょう。

臨席者49 そして最後の思い出として、

臨席者50 待ちに待った、

ヒカル きょうは僕たちの、

男子一同 きょうは僕たちの、

カオル きょうは私たちの、

女子一同 きょうは私たちの、

ヒカル・カオル ノンシャラン!

一同 駆け落ち道中!

 

  全員、歌いながら踊りはじめる。

 

(歌2)一同

 

♪ いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駆け落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 

  向き合えば二人だけ

  愛しあっていたものを

  なのになぜ 引き離す

  駈け込む列車の

  行き先も知らずに

 

  いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駈落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 

  気がつけば一文無し

  振り向けば光る海

  だからもう もどれない

  焼けた砂踏みしめ

  足跡をあずけてゆく

 

  いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駆け落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 


ノンシャラン駈落ち道中 002

 

  (歌と踊りのあいだにヒカルはカオルを連れ去り、祭壇がマリア像が駅員となった改札を抜けていく)

 

 

 

  2 いささか不安な

 

  海辺を歩く水着の女の子たち。それを眺めているヒカル。

 

(歌3)「ファイン・デイ」ヒカル

 

♪ 誘惑の砂浜に集まった女の子

  これまでみせてた体を

  波間に隠しちゃいけないよ

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

 

  くびれた線を残してオン・ザ・ビーチ

  見逃したらレトランジェ

  太陽のせいは嘘じゃない

  アヴァンチュールはここにして

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

 

  冷たいもんでも飲みませんか

  誘われていってはみるけど

  うかつに馴れちゃいけない

  恋はまだまだこれからさ

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

 

  (西条八十「トンコ節」より)

  上は行く 下も行く

  上は泣く 下でも泣くよ

  君は省線 僕はバス

  つらい別れのガード下

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

  Come on Come on Fine day

 


ノンシャラン駈落ち道中 003  ファイン・デイ

 

  缶ジュースを買ってきたカオルが「こらっ」とヒカルの首筋に缶を当てる。びっくりするヒカル。

 

カオル 懐かしいね、ここ。

ヒカル 子どもの頃はカオルの家族と来たし、中学のときは悩み相談、最後は高校のとき花火をしに来た。そして今日は誘拐。

カオル 誘拐ね……それにしてもずいぶん思い切ったことするのね。

ヒカル それはこっちの台詞だよ。なんだってあんなヒョーロク玉と。

カオル いいじゃない。お金持ちだもん、スタイリストの勉強も自由にさせてくれるっていうし。(うれしそうに)でも、ヒカル君が私のこと、やっぱり好きだったなんてね。

ヒカル 馬鹿いうなよ。俺はカオルのおふくろさんにそそのかされたんだよ。

カオル またいい加減なこといって。

ヒカル ほんとだって。

カオル ま、いいか。ママは昔っからヒカル君のこと贔屓にしてたからな。冗談でもいいそうよ。

ヒカル じゃ俺がまに受けたってわけ?

カオル さあね。

ヒカル つくづく変わってんだな、カオルは。その、どんな状況でもノホホンと平気でいられる性格。

カオル そうかもね。でもヒカル君だって、ちっとも変わってないじゃない。大胆で慌てん坊のところなんか……よく遊んだよね、裏の原っぱ、ヒカル君おぼえてないでしょ。

ヒカル そうだなぁ、怪我ばかりしてたような……

カオル 怪我をしてたのは私の方よ。いつもヒカル君のあとばっかりくっついてて転んでたし……あの頃が一番幸せだったのかもね。このごろね、よく思うんだ。まだ自分が子どもだった頃のことって、たまに思い出してあげないと、心が貧しくなってしまうんじゃないかなって。

 

(歌4)「忘れちゃいませんか」カオル

 

♪ ちいさなホッペを真っ赤に染め

  走った草原の春風にのって

  悩まず過ごしてた あの頃

  忘れちゃいませんか

  遠い星まで かけた願いごとを

 

  夕暮れ間近も知らんぷり

  つまんだホウセンカ弾ける声で

  歌ったこともない 近頃

  忘れちゃいませんか

  遠い国まで 馳せた物語を

 

  大きく手を振る帰り道

  黒い影法師どんどんのびて

  怖がることもない あれから

  忘れちゃいませんか

  遠い町まで 告げたさようならを

 


ノンシャラン駈落ち道中 004  忘れちゃいませんか

 

ヒカル それから、カオルんちが引っ越して行ったんだよ。

カオル 君、私に原っぱに埋めてた宝箱をくれたのよ。

ヒカル そうだっけね。

カオル 泉屋のクッキーの缶。何が入ってたか覚えてる?

ヒカル さあ。

カオル 壊れたゼンマイとか、虫のサナギとか。

ヒカル 女の子にサナギはないよな。

カオル ほんとよ。

ヒカル そう、そう、引っ越してから最初に遊びに行ったときさ……

カオル 高校生の頃ね。

ヒカル カオルが書いてよこした地図がぜんぜん違っててさ、大変だったんだよ、あんとき……

 

(歌5)「間違いだらけの地図」ヒカルら

 

♪ 君が書いたこの地図がへたくそだから

  約束まで間に合いそうにもない

  手当たり次第歩いても電話もなくって

  しわくちゃになった地図とにらめっこ

 

  煙突なんてどこにもないCRAZY

  頭の中までクラムボンボン

  指切りしたっけ針千本

  アイスクリームも溶けはじめてるBABY

  こうなったら意地でもみつけてREADY

 

  道行く人に尋ねても首をかしげて

  ほんとに君はこの町に住んでいるの?

  屈託のない野良猫にも笑われちまって

  僕はますます途方に暮れてゆく

 

  君の部屋まであと何センチ? DIZZY

  さまようアルチュール・ランボーボー

  これじゃまったくかくれんぼ

  青い空でも情け容赦はGRIMLY

  ないならさよならするしかないなら

  GROGGY

 

  夢のようなこの町は間違いだらけで

  約束はかなえられそうにもない

  手当たり次第歩いても見当たらなくって

  しわくちゃになった地図とにらめっこ

 


ノンシャラン駈落ち道中 005  間違いだらけの地図

 

カオル そんなことあったね、駅の反対側に行っちゃったりしてさ……いまじゃあそこらへんもずいぶんかわったんだろうけど。

ヒカル なんだかんだいってもあの頃はよく会ってたな。

カオル サッカーの試合があるっていえば応援しにいってたし。

ヒカル 文化祭があれば見にいってた。

カオル あのころ、映画だのコンサートだのってよくいってたよね。それからあまり会わ なくなったじゃない。ヒカル君、つきあってた人いたんでしょ?

ヒカル ……カオルもいたんだろ?

カオル 私は女子大の寮に入ってからは寂しいものよ。あれっきり会わなくなっちゃったよね。

ヒカル そうだっけな、なんでだったんだろうね……いつも妹みたいな存在だったのにな。

カオル ほら、その一言が余計なの……

ヒカル どうしてさ。

カオル どうしてってことないでしょ……

 

  カオル、ヒカルそれぞれ離れて、当時の心情を歌う。

 

(歌6)カオル

♪ あれからずっと気にしてたわ

  あなたの 一言古い話だけど

  いまごろきっと私のことも忘れて

  いけないことしてるんじゃないの

  それでもかまわない

 

  どんなときでもあなたの姿

  みつけてる

  昔はわからなかったけれど

  きまぐれだけで思い出してた

  わけじゃない

  いつも彫りつけた姿よ

 

  いまならきっと好みの女の子に

  なってみせる自信があるの

  いまもときには眠ることができない

  傷跡ひとりでこじらせて

  なぜなの教えて

 


ノンシャラン駈落ち道中 06 あれからずっと

 

(歌7)ヒカル

♪ あれから電話もこない

  それほど愛がすりきれたとは

  思わない

  やっぱりそれだけ僕に

  落ち度があったといえば

  言い訳になる

 

  君がひとりでしょんぼり

  帰っていくそぶりをみせたなら

  追いかけていって

  きっと心も正直になれたものを

  そっとなにげなく伝えたくて

  君のそばにおいてきた台詞

 

  会わずにいればそれだけ

  忘れることができない声を

  聞きたくて

  サクランボひとつ取って口に

  頬張ってみせていた君を

  思い出すたび

 

  街の波から逃れて

  たった二人きりになれても

  話すこともなく

  じっと伏目がちにの君を見つめたまま

  そっと抱き寄せて耳もとまで

  消え失せそうな言葉もいえずに

 


ノンシャラン駈落ち道中 07 なにげなく

 

カオル ねぇ、これからどうするつもり?

ヒカル そうだなぁ、ともかく俺んとこに来てほとぼりが冷めるのを待つしかないな。

カオル まずいよ、それ。ヒカル君とこだったらすぐ見つかっちゃう。

ヒカル 見つかる?

カオル 知らないの? 私の結婚相手だった人、財閥の御曹司で組織の人ともつながってるのよ。

ヒカル (青ざめて)組織?……色素の間違いじゃないよな。

カオル 組織。そこの手下のボディガードみたいのがいて、きっと探しに来ると思うの。

ヒカル それじゃ、これからどうするんだ?

カオル だから聞いてるんじゃない。

 

  音楽「駈落ち道中」のスローなメロディーが流れる。

 

ヒカル 一生、追われ続けるわけか……

カオル ……

ヒカル 俺の人生ってなんかいつもこんな調子でちぐはぐだよな満足に上手くいった試しがないんだ。

カオル ……そんなこといわないでよ……

ヒカル だって、どうするよ、宿に泊まりつづけるなんて金はないし、友達んとこに頼むわけにもいかないだろ。

カオル ……後悔してる?

ヒカル え?(心配そうなヒカルの顔を見て微笑んでみせる)まぁ、なんとかなるって……アロンジ・アロンゾだ。

カオル なにそれ。

ヒカル 『気狂いピエロ』のおまじない。行こうぜ、やろうぜって意味のね。

カオル ふーん。

ヒカル ……カオル、ストッキング脱げよ。

カオル ええ? なによ突然。

ヒカル いいから。

カオル またなにか変なこと思いついて。

ヒカル いいからさ。

カオル ……あ、まさか強盗でもしようっていうんじゃ……

ヒカル 人聞きが悪いな、ちょっと扮装してお金を借りるだけだよ。

カオル だめよ、そんなの……それより、扮装っていうので思いついた。

ヒカル なんだよ、いったい。

カオル いいから、いいから、さ、行こう、じゃない、なんだっけ、アロンジ……

ヒカル アロンゾ。

 

  二人、退場。

 

 

 

  3 すこぶる暢気な

 

  新郎マサルの一行。マサルをはじめ侍従の宮本、以下コワソーな七人の黒服の男たち。

 

マサル 宮本ォ!

宮本 はっ、ボッチャン。

マサル まだ見つかんないの? 僕のフィアンセー。

宮本 はぁそれがどうしたわけか、足取りがつかめませんで。

黒服1 相手の根城は押さえておりますので、発見はじきかと……

マサル あっそー、でもね、指ィくわえて待ってたってだめなのよん。

宮本 承知しております。

マサル こんなにさ、精鋭の大の大人が集まっててさ、情けないよな。その筋ではちっとは名が知れ渡ってる、泣く子も黙るっていう「ボッチャン親衛隊」、略して「ボッチャン親衛隊」

宮本 全然略してねぇじゃねぇか(とマサルをどつく)

マサル 痛ぇ!

宮本 はっ、申し訳ございませんでした!

マサル そう、「ボッチャン親衛隊」の名折れだよん。

宮本 (黒服たちに)そうだよ、ボッチャンの仰るとおりだぞ、お前たちの心意気をみせて、ボッチャンを励ましてさしあげなさい。

 

  宮本、指揮をはじめると七人はただちに合唱団に。『クラリネットをこわしちゃった』の曲にのせて、七人が伴奏を歌いはじめると、マサルが歌い出す。

 

(歌8)マサル

♪ パパがすすめたフィアンセー

  ボクもみそめたフィアンセー

  とっても大事にしてたのに

  邪魔をしてきた奴がいる

  どーだろ(一同 パー)

  どーだろ(一同 パー)

  (一同 ああ、ふてぶてしい、ふてぶてしい、

   ぶって、ぶって、ぶっとばせ!

   ふてぶてしい、ふてぶてしい、

   ぶって、ぶっとばせ!)

黒服1 いま

黒服2 すぐ

黒服3 には

黒服4 まだ

黒服5 なか

黒服6 なか

黒服7 みつ

宮本  からなーいでーす

黒服1 どこ

黒服2 から

黒服3 さが

黒服4 せば

黒服5 いい

黒服6 のか

黒服7 も

宮本  わからなーいでーす

マサル とっても大事にしてたのに

    連れてゆかれた人がいる

    どーしよ(一同 パー)

    どーしよ(一同 パー)

一同  オーパッキャマラード

    パッキャマラード

    パオパオ、パッパッパッ

    オーパッキャマラード

    パッキャマラード

    パオパオパー!

黒服1 なく

黒服2 こも

黒服3 だま

黒服4 ると

黒服5 いわ

黒服6 れて

黒服7 いる

宮本  ぼくらーだけーど

黒服1 そん

黒服2 なに

黒服3 すご

黒服4 いと

黒服5 おも

黒服6 われ

黒服7 てる

宮本  ぼくらーじゃなーい

マサル とっても注意をしてたのに

    連れてゆかれた人がいる

    どーしよ(一同 パー)

    どーしよ(一同 パー)

一同  オーボッチャマ、どうぞ

    ボッチャマ、どうぞ

    くよくよなさらずに

    オーボッチャマ、どうぞ

    ボッチャマ、どうぞ

    なげかずに

 

 

マサル そんな調子だから、心配なんじゃないか、もぉー。

一同 ははぁ!

マサル 頼りないねぇ。

宮本 面目ございません。

マサル 宮本、それより披露宴の方は上手くいっておいてくれたんだろうね。

宮本 ええ、それはしっかり。披露宴ばかりか、二次会、三次会、四次会、五次会まで、 参席予定の方々には、花嫁の急病を理由にキャンセルいたしました。もちろん引き出物としてロレックスの砂時計とマイセンの山椒入れ、それにまい泉カツサンドをお付けしました。

マサル 花嫁に逃げられたなんて格好悪すぎだからな。そのへんもちゃんと金を撒いて口を封じておいてもらわないと。

宮本 ええ、そこのところも、ぬかりはございません。

マサル 落ち込んじゃうよな、なんだかさ、なぁ宮本ぉ、おまえあの子どう思う?

宮本 どう、と申されましても……

マサル お前いろいろ詳しいんだろ?

宮本 いえ、それほどでも。

マサル じゃぁどうよ。

宮本 あの手の意外にしっかりした女性ですと、将来的に見た場合ボッチャンのような方とは……

マサル なによ。

宮本 いえ、おやさしいボッチャンのことですから……

マサル 気に入らんちゅうの?

宮本 いえいえ、とんでもございません。なあ(と黒服たちに)

黒服1 はい、すてきでございます。

黒服2 すばらしゅうございます。

黒服3 おうつくしゅうございます。

黒服4 うるわしゅうございます。

黒服5 はなばなしゅうございます。

黒服6 あいらしゅうございます。

黒服7 かわいらしゅうございます。

宮本 (言い尽くされた言葉をさがしあぐねて)はぁ大変いとわしゅうございます。

マサル いとわしい?

宮本 あ、いえ、いとおしゅうでございます。

マサル (安心して)宮本ぉ、お前まさか人のフィアンセに惚れたんじゃないだろうね。

宮本 滅相もございません。

マサル はーん、そんなに魅力ないのかね。

宮本 あーいや、ボッチャンにはことのほか……お似合いかと……

マサル そうだよな、きっと。少しは気分を持ち直したみたい。

宮本 それはそれは我々一同からお喜び申しあげます。

マサル いいんだよ宮本、そんなに気ィ使わなくても。たださ、わかるだろ、フィアンセが結婚式の当日に他の男と逃げちゃったんだぜ、こりゃ誰だって落ち込むよな。

宮本 お気持ち、お察しいたします。

黒服一同 お察しいたします!

マサル なんだよ、お前たち声がでかいだけで全然察してないんじゃないの。まぁね、こんな気持ちは僕みたいにデリケートな人間にしかわからないだろうからな。

宮本 ボッチャンは人の数倍も繊細にできておられますから、さぞお苦しみのことと存じます。

マサル やっぱ僕ってそういった自分の性格を隠し通すことがインポッシブルブルブルブルジョアな人間なんだろうなぁ。

宮本 それは裏表のない誠実な人徳といえましょう。

マサル だ、ろうな。気がついてはいたが。でも、逃げられてしまうんだな、これがさ。

宮本 実に奇怪でございますね。

マサル あーあ、逃げられてみると余計に恋いしくなってくるよな。

宮本 やはりそういうものでございますか。

マサル そういうの、お前わかんないかねぇ。

宮本 逃げられたことがありませんので。

マサル わかったよ達人、もういい!

宮本 いえ、たしかに逃がした魚は大きいという譬えもございますから。

マサル まだ逃がしたわけじゃないんだよ。

宮本 ごもっともです。

マサル ほら、妙に、おぼろげに、彼女の姿が思い出されるっていうかさ……

 

(歌9)マサル

♪ ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

  ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

  すっきりとワンピース

  肌が透けるほどに

  うっすらアイシャドーの

  瞼をそっと 閉じたなら

  すべてを忘れてそのときばかりは

  ハムレット

  ほころびかけた蕾の紅を乱したくなる

 

♪ ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

  ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

  しっくりとハイヒール

  すこし背を延ばして

  それだけでスキャンダル

  巻き起こしてるとも気づかずに

  無邪気な様子で微笑む笑顔は

  ジュリエット

  どんなに汚い手段使っても

  奪いたくなる

 

  ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

  ティンクル・ウィンクル

  リップ・スター

 


ノンシャラン駈落ち道中 09  トゥインクル・ウィンクル・リップスター

 

  黒服の一同、宮本に促されて、まばらな拍手と鈍い歓声をあげる。

 

マサル そんなのどうでもいいからさ。こんなところでボーッと立ってないで、ちっとは精鋭の親衛隊ぶりをみせてくれよな。

黒服一同 はっ!

 

  宮本の携帯が鳴る。

  

宮本 (携帯をとって)うん、うん、わかった(携帯をきって)よーし、網にかかったらしい。

 

  宮本、顎で出撃を促すと、機敏に応じる黒服。しかし一同、われさきにと全員が退出しようとして、ドアの出入り口にぐずぐずつっかかってしまう。

  うなだれる宮本とマサル

 

 

 

  4 いかにも闊達な

 

  ミッション系女子大寮の食堂。

  暗闇の中、二人の尼僧が懐中電灯をもって見回りにやってくる。

 

尼僧A またあの子たちは門限を破ったみたいね。

尼僧B あと五分です。シスター。

尼僧A しょうのない子たち。どうせ見えすいた言い訳を考えて来るんでしょうけど。

尼僧B 変な人たちにからまれちゃったんです、とかね。

尼僧A まったくあの子たちのお蔭で、こんな方まで見回りさせられちゃって、嫌だわ、 怖くて、でもまさか、ねぇ……

尼僧B まさかって何ですか?

尼僧A まだご存知じゃないの? 北館の食堂で啜り泣く謎のシスター、泣き虫シスター の話。

尼僧B そんなのがいるんですか?

尼僧A 見た人もいるらしいのよ、シスターの格好したその霊の顔のところが妙に煙みたいにモヤモヤとしてね。フクロウみたいな声で泣くんだって。だから特にあの中庭の片隅には誰も行かないようにしてるらしいの。近づかない方がいいわよ、あそこは。

尼僧B やめてくださいよ。シスター。

尼僧A 昔、食事当番だった新人のシスターが過って転んだ拍子にお湯を顔からかぶってしまってね。火傷の跡でノイローゼになったまま亡くなったんですって。それ以来、新入りの学生や若いシスターには必ずちょっかいを出すって……(と尼僧Bの僧衣をうしろからひっぱる)

尼僧B ひゃっ!

尼僧A はい、びびった罰(といって相手の肩を拳固で軽く二回叩く)

尼僧B おどかさないでください。

尼僧A ……それにしても、遅いわね。

尼僧B 今度門限を破ったら、お説教してやらないと。

尼僧A 何いったって、へっちゃらよ、今の子は。

尼僧B そうですか。

尼僧A いいのよ、今あの子たちが一生懸命、思い出を作ろうとしているんだと思えば。 やりたいようにさせておくのが一番。

尼僧B それではいつまでたっても、ちゃんとしたまっとうな一人前のレディにはなれないのではないですか?

尼僧A 自分で気がつくときが来るのよ。一人前の女性なんていうのは教わるものではなく、自分で考えて、自分で感じて、養っていくものよ。いくら私たちが説教めいたってだめね。世の中のことは私たちより、あの子たちの方が詳しいくらいなんだから。

尼僧B それにしても、こう、しょっちゅう、クラブだなんだと遊び惚けていられては困 ります。

尼僧A まあ、少しはお灸をすえなくてはね。夜間外出禁止とか。

尼僧B あんな踊ったりするもののどこが楽しいのでしょう。

尼僧A あら、シスター、あなたは踊りが好きではないの? どこの世界でも、いつの時代でも踊りは人々を魅了してきたのよ。特に女の子にはね。

 

  しんみり歌いはじめる尼僧A。

 

(歌10)尼僧A

♪ 娘たちが踊りたがるわけを教えよう

  瞳を輝かせて夢中になるのも

  好きな人に寄せる熱い思いが

  棲みついてしまうからだと

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ララララー

 

  眼を病んだ娘のためにある青年が

  森の深く探しにゆくベラドンナ

  そのまま青年は行方知れずになり

  娘は毎日泣き暮らす

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ラララ 

  セイホーシャンララ ララララー

 

  森の神さまこの命とひきかえに

  どうかあの人だけは助けてください

  娘は手探りで森をさまよう

  すると闇の中から声が

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ララララー

 

  それならば娘よこの私のために

  一生休むことなく踊りつづけよと

  そして娘はひたすら踊りつづける

  朝も雨の日も月夜でも

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ララララー

 

  森の中で娘の亡骸がみつかり 

  引き取り手もなく葬られてしまったが

  娘の瞳には曇ることのない

  ガラス玉が埋まっていたと……

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ラララ

  セイホーシャンララ ララララー

 


ノンシャラン駈落ち道中 10 瞳のバラッド

 

  歌っている間、尼僧Aは懐中電灯をマイクがわりに持っていたため、顔が下から照らされており、歌い終えると尼僧Bがぎょっとなる。

 

尼僧B なんだか霊気がただよっているような気がするんですけど。

尼僧A そうよ、泣き虫シスターの霊が……

 

  窓の外に尼僧の人影が浮かび上がると、それを見た尼僧Bが絶叫する。尼僧Aが振り向いたときには人影が消える。逃げ出す尼僧B。

 

尼僧A そんな大袈裟に驚かなくても……  (とのあとを追う尼僧A)

 

  食堂のテーブルの下から、七人の女子寮生が顔を出し、現れる。

 

洋子 あぶなかったね。

礼子 ほんと。

良子 見つかったら、また一週間夜間外出禁止になるところ。

聖子 見つかっても、見つからなくても、おんなじよ、門限破っちゃったんだから。

翔子 でも、時間内には戻ってきたよ。

恵子 せめて何かうまい言い訳、考えとかなきゃ。

翔子 変な人たちに絡まれちゃったって?

 

  一同、クスクス笑う。

 

恭子 お灸すえてやらなきゃなんて言ってたから、言い訳なんて無駄よ。

洋子 あーあ明日から、また魔の一週間?

 

  ロシア民謡『一週間』の曲が流れてくると、寮生たちが歌いはじめる。

 

(歌11)一同

♪  チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラ、チュラ、チュララー

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラーラー

洋子 日曜日はお祈りをして

   サザエさんを見るのです

一同 チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラ、チュラ、チュララー

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラーラー

礼子 月曜日はガラカメ読破

良子 火曜日は字引きが枕

一同 チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラ、チュラ、チュララー

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラーラー

聖子 水曜日はクッキー焼いて

翔子 木曜日はダイエットです

一同 チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラ、チュラ、チュララー

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラーラー

恵子 金曜日は踊りも行かず

恭子 土曜日はおしゃべりばかり

一同 恋人よこれが私の

   一週間の仕事です

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラ、チュラ、チュララー

   チュラ、チュラ、チュラ、

   チュラーラー 

 

  と盛り上がって歌っていると、一人が悲鳴をあげて、窓の外を指さす。一同歌い止む。

  窓の外に悲しげな一人の尼僧の姿。

 

一同 出た!

 

  すると窓の外の尼僧が頭巾を取って、ピースサインをしてみせる。

 

一同 カオル……

 

  カオル、食堂に入ってくる。

 

洋子 どうしたのよ、いったい。

礼子 急病で式が中止になったってきいたよ。

良子 ちゃんとパーティーグッズまで揃えて弾けようと思ってたのにさ。

聖子 おかげで、よそで盛り上がっちゃったよ。

翔子 夜間外出禁止のおまけ付き。

恵子 それにしたって、びっくりよ。

恭子 それもこんなところで。

カオル よかったぁ。ちょうどみんながいて。さっき正面玄関の方からこっそり見たら、まだ洋子も礼子も良子も聖子も翔子も恵子も恭子も帰ってきてないみたいだったから、どうしようかと思ってたのよ。

恭子 え? もう一回言ってみて。

カオル 洋子も礼子も良子も聖子も翔子も恵子も恭子も……(言おうとしてやめる)

洋子 それでなにごとよ。

カオル お願いがあるの、北館の103とか203とかまだ空いてる?

恵子 まだ誰も。

翔子 物置きになっちゃってる。

カオル ちょっとかくまってほしいの。

恭子 ヤバいこと?

カオル まあ、こっそりと泊めてくれるだけでいいの。実は連れの友だちがね、テロリストの彼と付き合っていて、その彼氏が警察に捕まっちゃったのよ、それで彼女まで追われているの。

恵子 式をすっぽかすなんて、よっぽどなのね。

聖子 なんだかワクワクしちゃうじゃん。

洋子 そんなことならかまわないけど。

良子 どうせこれから、しばらく退屈するところだったんだから。

礼子 彼女は?

 

  カオル、窓の外のヒカルを呼び入れる。ヒカルは革ジャンに革のパンツ、革のブーツで身をつつみ、ロングヘアに野球帽を目深にかぶり、サングラスをかけ、口紅をひき、腕にはブレスレットといった出立ちで女装をしている。

 

カオル ヒカルっていうの。

 

  ヒカル、ちょこんとお辞儀をする。

  寮生たちは羨望の眼差しを送り、口々に「カッコイイ」などと溜め息を洩らしている。

 

良子 とりあえず、みんなで飲み直そ。

聖子 待ってました。

洋子 歓迎会もかねてね。

カオル 悪いわね。

 

  と寮生はそれぞれ心得たように、厨房に入っていく。

 

ヒカル みんな勝手し放題みたいだけど、ここは本当に女子寮なのか?

カオル こんなもんよ……どう、全然バレなかったでしょ?

ヒカル さすがスタイリストだ。

カオル 友達んちの古着屋がやっててよかったよね。

ヒカル でも、この格好しててもいずれはバレるだろ。

カオル しばらくはだいじょうぶよ。中庭裏の北館なんてめったに人がよりつかないんだから。さっき話したフクロウみたいな声で鳴く泣き虫シスターの霊が出るって。

ヒカル カオル、それより、おかあさんに電話しておいた方がいいんじゃないのか?

カオル うん、そうする。

 

  カオル、食堂片隅から電話をかけると窓の外にスポットが当てられ、カオルの母が浮かびあがる。

 

カオル あ、ママ? あたし。

カオルの母 カオル? あなたいったいどうしてるの。

カオル 今ね、寮の方にいるから安心して。

カオルの母 ヒカル君はどうしたのよ。

カオル 一緒。

カオルの母 一緒って、どうやって……

カオル だいじょうぶ、バッチリ女装させてるから。

カオルの母 (笑って)あら傑作。ママも見てみたい、ヒカル君が女の子の格好してるなんて。

カオル 結構イカすのよ。そっちはだいじょうぶ?

カオルの母 さっき先方の方がみえたけど、適当にごまかしちゃった……でもよかった、 無事でいるんなら。心中でもするんじゃないかって。

カオル まさか、いまどき。パパにも心配しないでって。

カオルの母 この間、ヒカル君からね、電話がかかってきたとき、カオルが本当に結婚するんですかって、かなり深刻そうだったから。

カオル ふーん。

カオルの母 二人がまだ小さいとき、カオルが蚊に喰われたっていったら、ヒカル君、カオルが蚊に食べられたと思って泣き出しちゃってさ。カオルちゃんが蚊に喰われた、蚊に喰われたって大騒ぎして……ママはね、小さいときから、あなたたちがうまくいけばなって思ってたのよ……好きな人と一緒になるのが一番だからね。

カオル でもヒカル君が本当に私を好きかどうかわからないもん。

カオルの母 だいじょうぶだって。

カオル ママもそういうことあった?

カオルの母 そうね……

 

(歌12)カオルの母

♪ ママが若かったころ そうね

  都会をぶらぶらして

  流行りのものを身につけて

  フツーの女の子でした

  あなたと同じように

  悩みもしたし

  でも今はいそがしくって

  覚えてないの

 

  ママが若かったころ そうね

  あなたが生まれる前

  ママにもそういうときがあったのよ

  聞かせたことはないけど

  好きだった人はもう

  他の人のところ

  パパには悪いけど思い出すの

  (カオルの父現れて)

  オー、ノー!

 


ノンシャラン駈落ち道中 12 そうね

 

カオルの母 カオル、ヒカル君いる?

カオル かわる?(とヒカルを呼ぶ)

カオルの母 あ、いいの、ちょっと一言、頑張ってって……パパとかわろうか?

 

  カオルはヒカルに「ママ」といって受話器をわたし、一方カオルの母は父に「カオルといって受話器をわたす。

 

カオルの父 いま、どうしてるんだ?

ヒカル (おやっ?となり)あ、いまあるところにかくまってもらってます。

カオルの父 (おやっ?となり)きみか、式をぶちこわしてくれたのは。いったいどういうつもりかね、娘の幸せを踏みにじって。

ヒカル 踏みにじるなんて……

カオルの父 (諭すように)私はね、きみに対して怒りをもっているわけじゃないんだよ。むしろ勇気のいる立派な行動だったと思ってもいい。でもな、よーく考えてごらん、きみに何ができるんだ? カオルになにをしてやれる? あの子が幸せになるのには何が必要か。なに不自由なく暮らしていけることがどれだけありがたいことかってな。

ヒカル ……

カオルの父 今回のことは決して責めたりはしない。あとはきみがきちんと判断することだよ。

ヒカル ……(受話器を置く)

カオル ママ、また調子のいいこといってたんでしょ。

ヒカル ……まあね。

 

  厨房から寮生が顔を出し、手招きする。

 

恵子 カオル、それにヒカルさんも。

カオル 行こっ。

ヒカル カオル行ってこいよ。俺、一服してくる。

カオル ロビーじゃシスターに見つかっちゃうから、中庭で。泣き虫シスターの霊に出くわさないように気をつけてね。

 

  カオル、厨房の方へ。

  ヒカル、外へ。

 

 

 

  5 なるほど軽率な

 

  中庭の片隅で尼僧Aが煙草を吸っているところへ、ヒカルが現れる。あわてて隠れる尼僧A。ちらりとその痕跡を見送るヒカル、ベンチに腰をかけて煙草を吸う。ベンチにオカリナを見つけ、なにげなくポケットにしまう。食堂で女の子たちのはしゃいでいるのが見える。

 

ヒカル みんな、ああ見えて、ひとりひとりいろんな悩みをかかえているんだろうな……

 

  寮生たちはひっきりなしにおしゃべりをしながら爆笑しては「静かに」という身振りをくわえたりしている。

 

(歌13)ヒカル

♪ うら若いばかりの女の子は

  いつも、ちいさないざこざで

  大切だった夢の切れ端を

  なくしてゆくだろう

 

  ひとりよがりだった思いだけが

  知るらぬまについつぎつぎ

  大事な人なのを、いいことに

  傷つけるだろう

 

  燦々と陽がさす広い家

  人も羨む高級車

  ようこそ海外旅行のパスポート

  夢ゆらゆらゆらゆら

  夢ゆらゆらゆらゆら

 


ノンシャラン駈落ち道中 13  夢ゆらゆら

 

  歌い終わるとベンチに腰かけ、思いにふけるヒカル。

  舞台袖にマサル一行が現れる。お嬢様風の女装をしたマサル

 

マサル (黒服たちに)よーし、お前らは向こうの裏を見張れ。

 

  黒服たち、すみやかに去る。

 

マサル これ、どう?

宮本 はい、実によくお似合いです。どこをみても良家のお嬢様で。とてもフィアンセを連れ戻しに、女子寮に女装して侵入してきた馬鹿息子には見えません。

マサル お世辞はいいんだよ、宮本。それよかさ、ベンチに座ってるあの子、イカすな。

宮本 はぁ。

マサル ああいう娘って僕のタイプなんだよね。

宮本 カオル様は……

マサル それはまあ……僕を裏切ったことでもあるし……あの娘に決めた。

宮本 またずいぶん早いご決断で。

マサル なんとかなるかな。

宮本 さあ、それはボッチャンの腕次第でございましょう。

マサル どうしたらいい?

宮本 そうでございますね。僭越ながら、橋本めの個人的な忠告を申しのべさせていただかせてもらえるならば、あの手のイキがった感じの女性には、まず強気で出るのがよー ございます。ドスの効いた声で一言かましておきますと、相手はかえって反発して目をそらすでしょう。ところがボッチャンの格好を見て、不思議に思うはずです。でも相手は気位が高いですから、無視し続けるはずです。このとき、ボッチャンへの強い関心を隠すように、煙草に火をつけでもしたら、しめたもの。突然やさしい口調で泣きに入るのです。その落差で相手の隙をつくのです。あとは相手の意識の反動を利用して、甘い言葉でたたみこめば、もうボッチャンのものです。さしずめ相手の心を自由自在にあやつるパイロットとして恋の夜間飛行を楽しめばいいんです。これで一丁あがり。

マサル ずいぶん狡猾だな。

宮本 恐れ入ります。さ、ものは試しです。

 

  マサル、宮本にうながされて、背後から女装したヒカルに近づく。宮本のガツンという手振りにうなづいて。

 

マサル (ヒカルの耳許で)気に入ったぜ、ベイビー。

 

  ヒカル、ちらりと振り向くとサングラス越しにマサルが見えるので、驚いて知らんぷりを通す。

  OKサインをかわすマサルと橋本。

 

マサル おや、彼女、ずいぶん冷てぇんだな、こんな格好してんのには、訳ありでね。君、ここの子?

 

  ヒカル、うなずくと煙草に火をつける。

  マサル、振り返ると橋本がハンカチで涙を拭う仕草。

  一方、シャベルを持って中庭の片隅に何かを掘ろうとしにきたカオルがやってくると、陰から二人の様子をうかがう。

 

マサル (ハンカチを出して泣く素振り)実はさ、俺、女の子に振られちゃってさ、寂しいんだ、とっても。こんな格好してるけど、うちは結構金持ちなんだぜ。ほら、いま手持ちに百万しかないけど、これで煙草でも買いなよ(と札束をヒカルに押しつける)

 

  ヒカルが金を渡されてるのを見て、カオルは立ち去る。

 

マサル エリートっていえばエリートなんだけどさ、家業を継いだんで、つらいことばかりでさ。小さいころから不自由はしなかったけど、自分の好きなことはいっさいやらせてもらえなかった。だから、夢なんてものもどんどん痩せ衰えちまってね……でも僕と一緒になってくれる人なら、その人の夢を叶えさせてあげたいと思ってるんだ。本当だよ。自分のために生きるんじゃない、人のために生きるのもいいなと思ってね。なんの不自由もさせない。その人の夢をきっと叶えさせてあげたいと思ってるんだ。だから、僕のなくしてしまったものを、ぜひ、きみに取り戻してほしいんだ。

 

(歌14)マサル

♪ ぼくの手に入らない

  ものなどないけど

  唯一 かなわぬ

  夢を実現させてみたい

 

  誰よりもその愛に

  飢えているこのぼくと

  たしかな 答えを

  ふたりで見つけ出してみたい

 

  ぼくが好きになった人になら

  なにも なにも惜しまないだろう

  ぼくが好きになった人になら

  なにも なにも惜しまないだろう

  WOW WOW

 


ノンシャラン駈落ち道中 14  

 

マサル どう、僕の話、聞いてくれた?

 

  と熱唱のあとに振り向くと、ヒカルはすでにベンチから立ち去っていない。

  宮本の方を見ると、お互いお手上げのポーズ。

 

 

 

  6 ますます無邪気な

 

  寮生の女の子と黒服の男たちが厨房で歌い踊っている。

 

(歌15)寮生女子

♪ おいしいスープはじっくり

  時間をかけて

  せっかちだったら料理は台無し

  待てば嫌がうえにも食欲が

  そそられてくる

  まだまだ足りない塩加減

  とろとろ煮込んで十二分

  そろそろいいかな味加減

  WOW WOW

 

黒服の男たち

♪ おいしい匂いが誘って

  俺たちを誘って

  朝からなんにも食べてない本当

  仕事するにもまず

  腹ごしらえしてから

  おあずけしなくてもいいじゃない

  味見をしたっていいじゃない

  一口くらいはいいじゃない

  WOW WOW

 


ノンシャラン駈落ち道中 15  おいしいソース

 

  マサルと橋本が現れて。

 

マサル こら、お前たちィ何してんの? こんなところで油売っちゃって。

黒服1 ボッチャン!……その……

黒服2 お言い付けどおり裏を見張っていましたところ、

黒服3 なにやら、うまそうな匂いがしてきまして、

黒服4 のぞいてみますと、妙齢の女性が楽しそうに、

黒服5 料理を作っているではありませんか。

黒服6 われわれは今朝から何も食べておりませんゆえに、

黒服7 ついつい、気を許して話しかけてみたところ、

洋子 この人たち、

礼子 本当にお腹すかしてたみたいだったし、

良子 ルックスもまぁ悪くないし

聖子 よかったら、どうぞって、中に入れてあげて、

翔子 食事をわけてあげるかわりに、

恵子 私たちが今日門限に遅れたのは、

恭子 この人たちのせいにしてもいいっていう取引きをしたところで、

宮本 楽しそうに、踊っていたのか。

マサル しかも僕を仲間はずれにしてね。

黒服1 そんなことおっしゃらず、どうぞボッチャンもご一緒に。

マサル いいのかい?

 

  一同、うなづくと、歌い踊り始める。

 

(歌15)寮生女子

♪ おいしいスープはじっくり

  時間をかけて

  せっかちだったら料理は台無し

  待てば嫌がうえにも食欲が

  そそられてくる

  まだまだ足りない塩加減

  とろとろ煮込んで十二分

  そろそろいいかな味加減

  WOW WOW

 

マサル一行

♪ おいしい匂いが誘って

  俺たちを誘って

  朝からなんにも食べてない本当

  仕事するにもまず

  腹ごしらえしてから

  おあずけしなくてもいいじゃない

  味見をしたっていいじゃない

  一口くらいはいいじゃない

  WOW WOW

 

 

  食堂のドアに人影。

 

洋子 シスターよ!

礼子 あなたたち隠れて!

 

  マサル一味がテーブルの下に身を隠す。

 

尼僧B まぁ、あなたたち。いまごろ帰ってきて、おまけに宴会をしようっていうの?

 

  とテーブルの上のパーティーグッズを没収しはじめる。

 

尼僧B いったい、どういうつもりですか!

マサル (テーブルの下から出てきて)どういうつもりもこういうつもりもないんだがね、シスター……

 

  マサル、おもむろに銃をつきつけて、

  暗転。

 

 

 

  7 きわめて神妙な

 

  中庭のヒカルとカオル

 

ヒカル カオル、話があるんだ。

カオル それより何よ、さっきの。

ヒカル さっきの?

カオル すっとぼけちゃってさ。

ヒカル どうしたんだよ急に。

カオル ふん!

ヒカル ……なぁカオル、お前どうして俺とついてきたんだ?

カオル ヒカル君が無理やり連れ出したんじゃないのよ。

ヒカル そうだよな。無理やりだったんだよな……

カオル え?

ヒカル 俺、自分のことしか考えてなかったのかもしれない。

カオル どうしたの?

ヒカル カオルにはきちんとした夢とか目的とかあるだろ。俺なんか行き当たりばったでさ。思いつきで、こうだと思ってきたことをやっただけのような気がする。それが今こういう羽目になってるんだよ。考えてみたら俺には金も学歴も才能もない。お前に何もしてやれない。

カオル 何が言いたいの?

ヒカル 別れよう……もう、逃げ回ったりする必要もないんだ。お前はあいつのところに行った方がきっといいんだよ。

カオル 本気なの?

ヒカル ああ。

カオル ……お金も学歴も才能もなんてくだらない。そんな言い方やめてよ。ずるいわよ。

ヒカル ずるい?

カオル 別れを切り出す口実ね。正直に言ってよ。さっきの彼女に未練があるんでしょ?

ヒカル 彼女?

カオル ちゃんと見てたんだからね。さっきの。

ヒカル (カオルの誤解に考えを巡らせて)はあ?……そうか……

カオル 彼女、泣いてたもんね。

ヒカル ……しょうがないんだ。

カオル さぞ、いいところのお嬢さんなんでしょうね、それもわざわざこんなところまでお金持って来るなんてね。

ヒカル …まあね。

カオル 駈落ちまでして、その挙げ句に別れようっていうの?

ヒカル そうだ。

カオル あの人が好きなの?

ヒカル ああ。

カオル うそ。ヒカル君、嘘つくと鼻がぴくぴくするからわかる。

ヒカル 本当だよ! 彼女が好きなんだ。

カオル …わかった。

 

  カオル、ヒカルに平手打ちをする。

 

ヒカル ごめん。

カオル ううん、正直に言ってもらってよかった。すっごくくやしいけど、しょうがないもんね……

 

(歌16)カオル

♪ 今日でお別れなら

  抱きしめて夜明けまで

  はしゃぎすぎた

  あの頃のために

 

  夢さめないでと

  祈ってた胸のうち

  残りわずか

  あなたとの日々も

 

  なんにも言わないで

  これ以上つらくしないで

  せめて笑ってみせて今夜は

 

  抱いて思い出すわ

  初めてのくちづけを

  かすみそうな

  ふたりだけの日を

 

  泣いて忘れられたら

  どんなにかいいでしょう

  きっといつか

  思い出さぬように

 


ノンシャラン駈落ち道中 16 最後の夜

 

  一部始終を見ていた尼僧Aが二人のもとにやってくる。

 

カオル シスター……

尼僧A ごめんなさい。いけないとは思いながら、話しを聞いてしまったわ。

カオル こちらこそ、すいませんでした。私たち追われていたので、つい、ここを頼って……

尼僧A 追われてきたというのを、むげに追い返すわけにはいきません。今日のところは北館でよければお使いなさい。

カオル ありがとうございます、シスター。

 

  食堂の方から、銃声のようなパンパンという音。

 

尼僧A なにかしら、行ってみましょう。

 

  尼僧A、ヒカル、カオル退出。

 

 

 

  8 はたして奇抜な

 

  食堂。

  次々にシャンパンを抜いて、酒盛りをしている男たち。女たちともども一様に行儀よく座っている。

 

マサル (黒服たちに)ほら、ほら、そうじゃないだろ、フォークの裏側にライスをのせ たりしちゃ、お里が知れるぞ、いけない癖だ……ひじ! そんなにしゃちこばらない! もっと上品に、そう、ちゃんとしたマナーでいただかなければ、お嬢さんたちに申し訳ないでしょ。

尼僧B あのう、この子たちもう寝る時間ですから……

マサル そうはいきません。みなさんはここにしばらくいてもらわないと。変に隠しだてをしたり、通報されたりしては困りますからね。(黒服たちに)早く、お前たち喰わないか!

黒服たち ふあ、ふあい。

マサル 口にものをいれてしゃべるんじゃないよ、バカタレ。

 

  そこへ尼僧A、ヒカル、カオル。

 

尼僧A どうしましたシスター。

尼僧B わたしにもどういうことだか……

マサル おお、これは探す手間がはぶけたよ。

カオル (女の格好をしたマサルに気づいて)えっ、あなたマサルさんじゃない! さっき中庭にいたのは、あなた?

マサル さあ、きみはこっちへおいで。

 

  銃口で指示されてマサルの方へ行こうとするカオル。

 

マサル きみじゃない、そっちのカッチョイイ方だ。

 

  ヒカルがマサルの方へ行く。ヒカルがサングラスとカツラをとると、一同唖然とする。

 

マサル なんだよ、お前!(と気持ち悪がって)カオルちゃーん、やっぱきみ。

 

  尼僧Aがカオルに名案を授けるように内緒話をすると、カオルをマサルの方に送り出す。

 

尼僧A お食事をするのはかまいませんけど、少しは片づけてからになさったら?

 

  といってテーブルの上のパーティーグッズを鷲づかみにする。

 

マサル さぁ、いい子だ。

カオル (ヒカルに)どういうこと、さっきの別れるって話、こんなのを好きになったとでもいうの?

ヒカル だから言ったじゃないか、はじめに。お前はそいつといっしょになった方が自分の思いどおりのことができる。俺は思いつきばかりで、結局、何もカオルにしてやれることがないって。

マサル よーく、わかってるようだね。さ、行こう(カオルをうながす)

カオル ちょっと待って(とマサルから銃を奪ってヒカルに向ける)よく今頃になって、 平気でそんなことが言えるのね。私の結婚式をめちゃめちゃにしておいて、それが済んだら、はい、さようならなの?……

 

  カオルは銃を突きつけてヒカルににじりよる。後ずさりするヒカル。

 

カオル あなたに私より好きな人ができたんだったら、私、別れてもしょうがないって、 さっきまで思ってた。でも嘘じゃない。私のためにしてやれることがないなんて、みくびらないでよ! ちゃんと私のために、あなたは私を連れ出してきてくれたのよ。それがずっと、ずっと私の夢だった、この夢を叶えてくれるのは、あなたしかいないのよ……思いつきだっていいじゃない、もっと自分に自信をもってよ。私を連れていったときのあなたはすごくカッコよかったのに……

 

  カオル、銃をもってヒカルを取り巻く尼僧や寮生ともども追い詰め、厨房の中まで追いやる。

  厨房の中からカオルの怒号が聞こえ、気押されて立ち尽くすマサル一行。

 

カオル でも、これまでよ! 馬鹿よ、あなたは! 私、もうなにをするかわからない!

尼僧A やめなさいカオルさん!

カオル 本当のお別れね。私をこんな目にあわせた罰を受ければいいんだわ!

 

  と、鳴り響く数発の銃声。

  厨房の中では尼僧と寮生がとっさに示しあわせて持っていたパーティーグッズのクラッカーを鳴らす。尼僧Aがヒカルの腕を力まかせにつねると、断末魔の叫び。寮生たちは、悲鳴をあげながら、はりきってトマトケチャップを壁や厨房の出入り口にまき散らす。

  それを見たマサル一行は完全に度を失う。

 

マサル ……なんという残忍な……

宮本 ……ボッチャン、殺人者をめとられては、お家の名に傷がつきます。

マサル 僕、腰が抜けちゃったよ。

宮本 しっかりなさってください。一刻も早くここを逃げ出さないと、まずいことになります。

 

  大慌てで逃げ出すマサル一行。

  それを見てあられもなく狂喜乱舞する尼僧、寮生たち。

  厨房の中から、あたかも婚礼の祝福を受けたかのようにクラッカーの紙テープにまみれたカオルとヒカルが寄り添うように現れる。

 

尼僧A ほら、新郎と新婦のおでましよ。

ヒカル カオル……ありがとう。なんだか吹っ切れたような気がするよ。

カオル もう、変な気起こしちゃだめだからね。

ヒカル ……俺、やっぱりカオルを愛してるよ。

カオル やっと、言ってくれた……

ヒカル もう絶対、きみを放したりしない。

カオル ……うん……今度は本当みたいね。(とヒカルの鼻を指でつついて)

 

  一同が口々に歓声をあげ、祝福されるカオル。

 

ヒカル (尼僧Aに)ありがとうございます ……そう、そう、これ(とポケットからオ カリナを出して)忘れ物じゃないですか? 泣き虫シスター。

尼僧A (気まずそうに)シーッ! 内緒よ。私の方もさっき裏庭でカオルさんが掘り返してたところで見つけたんだけど、あなたの名前が書いてある……

 

  と、錆びついた泉屋の缶を差し出す。

 

ヒカル カオルのやつ、こんなもの、まだ持ってたのかよ……

 

  ヒカル、缶の箱を開けると、中から無数の蝶が舞いあがる。

  一同、感嘆して見上げる。

 

ヒカル (カオルに)これからどうしようか。

カオル どうしようかって、お金もないし、とりあえずここにしばらく……

ヒカル そんなに厄介になるわけにはいかないし、金の心配はいらない。ほら(と札束を出して)ご祝儀がわりの置き土産だ。

カオル すごいじゃない。でもまあ、あんまり深く考えないで、ノンシャランと行こうよ。

 

  歌い、踊りはじめる一同。

 

(歌2)一同

♪ いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駈落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 

  向き合えば二人だけ

  愛しあっていたものを

  なのになぜ 引き離す

  駈け込む列車の

  行き先も知らずに

 

  いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駈落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 

  気がつけば一文無し

  振り向けば光る海

  だからもう もどれない

  焼けた砂踏みしめ

  足跡をあずけてゆく

 

  いまさらどこへ逃げるのと聞かれ

  答えもノンシャラン駈落ち道中

  ひまわりくらいの太陽の下で

  降参するにはまだ若すぎる

 


ノンシャラン駈落ち道中 002  駈落ち道中

 

 

  —幕—

 

 

 

朗読劇 「つめたい部屋の真ん中で」

朗読劇

 『つめたい部屋の真ん中で』

 (または「プラムフクラム」)

 

作 竹本穣

 

 

  ナレーション(N)

  プラム

  冷蔵庫

  家

  庭

  鳥

  カマキリ

  蝶

  町

  地下水

  台風

  種

 

 

N そこは、つめたく、真っ暗な世界です。かすかに唸るような物音が聞こえてくるだけで、あたりには、何の気配もありません。まるで、宇宙の暗闇のようでした。そんなところにただひとつ、ぽつんと小さなプラムがありました。プラムは、熟していく自分の甘い香りが暗闇の中に満ちていくのを楽しんでいるようでした。それまで枝につながったまま暑い陽差しに照らされつづけた夏の世界にうんざりしていたので、ここの世界はひんやりと涼しく、かえって心地よく感じていたのです。それにだれも邪魔をするものもおりません。わずらわしい蜂も、口うるさい隣のプラムもここにはおりません。プラムはここにきてようやく我が身のりっぱなさまに思いをめぐらせるとこができるのでした。

プラム なんてすばらしいプラムだろう。色よし、形よし、香りよし。申し分ないな。隣に生ってたプラムは不格好な形だったし、そのまた隣のプラムは、変な傷がついていた。あの庭中の植物がわたしをうらやましがってたっけな。へっ! ひょっとするとこの世で一番すばらしいプラムかもね!

N プラムは真っ赤なつやつやした皮をピンとさせて威張りました。

プラム きっと、特別待遇でここにいるんだな。貴重な果実として大切にされているのに違いない。

N プラムはぶるぶるっと武者ぶるいをして、気持ちをひきしめていました。すると、ウーンという低い音にまじって、ひんやりした声が聞こえてきました。

冷蔵庫 いくら大きな声で自慢しても、きみはちっぽけな果物にすぎないんだよ。

N プラムは自分ひとりだけだと思っていたので、驚いて聞きかえしました。

プラム きみはだれだい?

冷蔵庫 きみがいまいるところさ。

プラム いまいるところって……

冷蔵庫 冷蔵庫だよ。レイゾウコ。きみはいま、わたしの中にひとりぼっちでいるんだよ。

プラム きみも名誉に思ったらいい。ぼくみたいにすばらしいプラムがきみの中にいるんだからね。どうだい、誇らしいだろう。

冷蔵庫 まあ、ずいぶんと世の中を知らないようなだな。きみよりすばらしいものなんていくらだってあるんだぜ。たまたまいまはきみしかいないが、以前には見事なメロンが入っていたし、グレープフルーツだって入っていた。あれを見たらきみは口もきけなくなってしまうにちがいないさ。

プラム しかし、ぼくがすばらしいプラムであることにはかわりはないだろ。そういうきみは具合が悪いようだね、変な音が聞こえてくるじゃないか。

冷蔵庫 これはわたしのモーターの音さ。電気の力で圧縮ガスを作ってるんだ。おかげできみをすずしくしてやることができるのさ。いいかい、きみはわたしのおかげで腐らずにすんでいるんだ。きみを生かしてやってるのはこのわたしなんだよ。

プラム たしかにひんやり気持ちがいいよ。それにりっぱかもしれない。でもぼくみたいに美しい色をしているのかい?

冷蔵庫 色はただの白だよ。

プラム 形はきれいかい?

冷蔵庫 四角い形でがっしりした感じだよ。

プラム なんだ、ただ生白くって、角張った感じなんだな。たいしてうらやましくもない。ぼくは赤くて、丸くて、つやつやで元気いっぱいなのに、きみはまったく味気ない様子だからね。

冷蔵庫 味気ないんじゃない。これは機能性を追求してシンプルにデザインされたものなんだ。きみのようにただの原始的な形じゃないというだけの話さ。そのうえわたしにはさまざまな叡智がつまっている。フリーザー、チルドケース完備、ターンポケット方式で楽々収納、脱臭抗菌の機能までついて、しかも省エネ設計。

プラム なんだか余計な機能がついているね。

冷蔵庫 口の減らないやつだな。いずれわたしの中に、はるばる北の大地からやってきた牛乳やら、南の島からやってきた魚介類が入ってきたら、きみはいやでも思い知るだろうさ、自分のちっぽけさというものをな。ンー……

プラム おや、壊れてしまったのかい?

冷蔵庫 ンー……

プラム いったいどうしたんだい?

冷蔵庫 ンー……

プラム 何か言ったらどうなんだい?

冷蔵庫 ンー……

プラム なあ。

冷蔵庫 ンー……

プラム なあったら。

冷蔵庫 ンー。(急に音をとめて)……ずいぶん、おびえていたようだな。むりもない、きみはもうここから出ることができないんだ。ただわたしの中で冷やされるひとつの小さな果物にすぎない。きみがいくら自慢をしたところで、わたしにはかなわないし、なんの意味もないんだよ。ンー……

N そういって、冷蔵庫はふたたび、いびきのような低いモーター音をたてはじめたのでした。

家 おい。

N すると今度はこの家の声が響いてきました。

家 おい、おい。寝たふりなんかしたってだめだぞ。聞いてるか冷蔵庫。いくらプラムに威張ってみても、きみは所詮、わたしの中のものにすぎないんだからな。

冷蔵庫 寝たふりなんかしてませんよ。一生懸命働いているんです。

家 働いてる? わたしがきみに電気を与えてやっているのだ。生かしているのはわたしだよ。働いているなどとおごってもらっては困るな。

冷蔵庫 おっしゃるとおりです。

家 とはいっても、きみの働きぶりもわからないではない。このわたしに住まわれているご主人さまにとって冷蔵庫も大事なものにはちがいないからな。しかし、ご主人さまにとって雨つゆをしのぐよりどころとしてなにより頼りにされているのが、このわたしだということは肝に銘じておいてもらいたいね。きみも自分の器をわきまえてなければならない。なにものにもそれぞれ分相応の器というものがある。つまりきみはプラムを冷やすということに専念すればいいのであって、それ以上を誇らし気に主張する必要はないということだ。ご主人のために氷を作ったり、食べ物を冷やしてさしあげることに、望外の喜びを見い出せばよいのじゃないか。

冷蔵庫 なにからなにまでその通りですね。わたしもご主人のことを考えていませんでした。まったく、あなたの言うとおりだ。今後は心を入れ替えて、一心に冷却に勤めることにいたしましょう。ンー……

N するとまた、さらさらとささやくようにのんびりとした声が響いてきます。

庭 なんてせせこましいお説教でしょう。家のあなたが、自分の中にあるものを諭したところでなんの変化があるでしょう。わたしから見たら、あなたは一年中変化のない、ただ箱にすぎませんよ。

家 あんたは?

庭 庭よ。

家 おやおや、偉そうな口を挟んでくるじゃないか。ご主人をお守りするわたしの大事な役目をお忘れか? そりゃ一見何もせず、こうして建っているだけにみえるかもしれない。しかし、そうであるからこそ、重要なんだ。ここに変わらずにあるということに意味があるんだ。暑い日も寒い日も、雨の日も雪の日もご主人を守り続ける。ご主人にはその有難味がわかってもらえているかどうかはわからないが、蔭ながら奉仕してこそ美徳というものじゃないか?

庭 それはそれで結構。でもあなたがお守りしているご主人は毎日、わたしを世話してくださる。水を撒いたり、余計な草をむしったり、わたしが咲かせた花を大切にして、喜んでくださる。ご主人は直接わたしに話しかけてくれることだってある。あなたはどう? ご主人に話しかけられたりしないでしょ。

家 ないこともない。

庭 そうね。この建てつけの悪いドアはなんだとけなされたり、

家 ……

庭 玄関をもう少し広くしておけばよかったとご主人を嘆かせたり、

家 ああ。

庭 ご主人の知り合いが、そこに寝室があるのは風水からみてよくないとか、

家 ああ。

庭 こんな綿ぼこり、いったいどこからやってくるんだ、この馬鹿我が家め!と怒鳴られたり、

家 馬鹿我が家めとは言わなかったぞ。

庭 あげくに柱の角につま先をぶつけたご主人があなたに罵声を浴びせるのがせいぜいでしょ。

家 ちょっと待ってくれ。ご主人は旅から帰えるとかならず、やっぱり家が一番だと溜め息をもらしてくつろがれるのだぞ。

庭 勘違いしないで。それはご主人が旅に行かないかぎり出て来ない感想でしょう。しかも旅に行かれるというのは家が退屈なためでしょ。それを考えたらわたしの方ははるかにバリエーションに富んでいて、ご主人に喜びを提供してさしあげている。春にはモクレンレンギョウ、ボケの花、夏にはバラにダリヤに月見草、秋には鶏頭、コスモス、金木犀、冬には柊、山茶花、草珊瑚と、まあ、あきさせることのないなんてご主人思いの庭でしょう。それに今度は何を植えてやろうかと親身に語りかけてくれる。あなたはまだまだよ。

N 庭はそういうと自分に植えられている木や草や花をわさわさと揺らしました。あまり突然揺するものですから、そこで休んでいた鳥やカマキリや蝶が文句をいいました。

鳥 ひどいな、突然揺らしたりして。せっかくいま草の蔭に隠れていたうまそうなカマキリを食べようと狙っていたのに、逃げてしまったじゃないか。

N すると草の蔭からカマキリがカマをかしゃかしゃしごいて、三角の頭をきりきり振りながら自分が狙われていたとも知らず愚痴を言いました。

カマキリ まったく、なんてことだ。花の上の蝶を目指してわざわざここまでこっそり追いかけてきたのに、もう飛んでいってしまったじゃないか。ああ、お腹がぺこぺこだ。

N 蝶はひらひらとまいながら、自分が狙われていたことも知らずに訴えました。

蝶 急にあの花ったら動きだすんだから、びっくりした。せっかくたっぷり蜜が溜まっていたのに、どの花だったかわからなくなってしまったわ。

N 花は花なりの文句があるようでした。

花 庭が動いたせいで、蝶に逃げられてしまったよ。こんなに見事に咲いて、蝶や蜂を呼び寄せても、これではきれいに咲いた甲斐もない。

庭 ごめんなさい。わたしの高笑いがみなさんにご迷惑をおかけしてしまったようで。もう邪魔はしませんから。

N その声に鳥や虫や花たちが安心しますと、庭はくすぐったいような気持ちになりました。くすくす笑いたいのをこらえて気を落ち着けようと静かにしていますと、遠くから鐘の音が聞こえてきました……どこか時計台からの音なのでしょう、何度か時を告げると、鐘の音にまじって町の声が聞こえてきました。

町 さて、鳥たちよ、虫たちよ、そろそろ帰りなさい。そんな庭先で道草を食ってはいけません。もっと広い世界を見るのです。

庭 待ってください。もう少しみんなをわたしのところに引き止めさせてください。みんな大事な仲間なんです。たしかに町は庭より大きいでしょう。でも、町のあなたは国より大きくない、国は世界より大きくない、小さい存在がいつも寂しい思いをするんです。あなただって自分の仲間を国や世界に奪われていくのは悲しいでしょう。

町 庭さん。勘違いしないでください。なにも鳥や虫をあなたから奪おうというんじゃないのです。コオロギやカタツムリやずっとあなたの庭に住み続ける虫たちだっているでしょう。でも鳥や蝶が生きるにはあなたのところでは狭いのです。みんなそれぞれ生きる広さというのがあるのです。わたしだって国や世界からの語りかけがあれば、喜んで鳥や虫たちを手放しますよ。鳥や蝶を自分の飾りのように考えてはいけません。あなたがいくら生き物にやさしくしてしてやろうとしたところで、彼らはあなたにあきてしまえば、別のところへ行ってしまうでしょう。なによりもあなたという庭が魅力的であればいいんです。きれいな花や、木の実を実らせば、自然と蝶や鳥がやってきます。まずあなた自身から魅力的になることが大事なんじゃないですか。

庭 そうですね、その通りです。あなたはずいぶんと見聞が広いことでしょうね。わたしなど到底かないません。

町 そりゃわたしはあなたより広くて大きい。しかしそれもたかが知れてますよ。わたしより大きいものはいくらでもある。わたしも昔は得意になったものでした。護岸工事がはじまればそのことを回りに吹聴し、新しい道路ができたら喜んでいました。しかし、それは必ずしもよろこべるものじゃないということがわかりはじめたのです。川や森からただならない沈黙が聞こえてくるのです。はっきりとした沈黙です。わたしもはじめは自分が開発され発展していくことに有頂天になっていましたが、道路は道路で勝手なことを言いはじめて、車をどんどん走らせて、カエルやウサギを轢き殺させている。わたしもわたしなりの町のあり方を考えたのです。

N 町がこういうのももっともなのです。むかし、町は国のいうことにしたがって大変な目にあったのです。世界のいうことを聞かず国と国がどちらが偉いかどちらが正しいかということで喧嘩をして、ある町が破壊されつくされてしまったのです。そこで世界は考えました。国と国が喧嘩をするのに、世界は喧嘩をしないでいられるのはなぜだろう。それは喧嘩する相手がいないたったひとつの存在だからということです。それぞれの国がたったひとつ独自のものとしてお互いを尊重しよう、決して国が世界のように振舞ったり、自分の物差で相手を測ったりしなければいいのです。そのことに考えいたった世界は国々にお互い尊重するよう伝えました。国は、町に独自性を尊重するように伝えました。町は庭にいいました。

町 あなたもかけがえのないたったひとつの庭になれば、その魅力にひかれて、いろいろな仲間が集まって来ますよ。

N 庭はそういわれて、ふたたび気持ちが楽になって来ました。するとずっと下の方で地下水が流れているのが聞こえてきました。地下水は誰にしゃべるともなく、流れているようでした。

地下水 ツツツツツツー山はおとなしい、親切なやつ、ツツツツツツツー川はおだやかなやさしいやつ、ツツーツツツツーいくぞ、いくぞ、海へいくぞ、ツツーツツツツー海へいくぞ。

N 庭ははるか下の方から聞こえてくる地下水の声の微妙なざわめきの変化を感じました。

地下水 ツッツツ、ツツーツいそげ、いそげ、ツッツツ、ツツーツ海へいそげ。ツッツツ、ツツーツ来るぞ、来るぞ、あいつが来るぞ。ツッツツ、ツツーツいそげ、いそげ。

N 鳥や虫や草や木も少し緊張しているようでした。空は湿った空気に満ちて、風が大急ぎで吹きつけ、雨がばらばら降ってきます。

町 来たぞ。

庭 何が来たんです?

町 台風だ。

N 庭のあらゆるものが、町のあらゆるものが、すべてが一斉に緊張しました。空が遠くで唸りはじめると、雨が激しくなって、風がぐんぐん強く吹いてきました。

町 ヒューンヒュルルルルーン、キシキシキシキシ、ヒューンヒュルルルルーン、キシキシキシキシ……

N 町の電線が大きく揺れて、店の看板が震えはじめています。

庭 ズワーン、シャシャシャーン、ズワーン、シャシャシャーン……

N 庭の木々が風にあおられ、雨は草や花を叩きつけるように降ってきます。

家 ドンドンドドド、ドンドドド、ドンドンドドド、ドンドドド……

N 家の扉もがたがた揺れはじめます。

地下水 ザーンザザーン、ザーンザザーン……

 (擬音が重なりあってどんどん騒がしくな

 てくる)

N 雨も風もどんどん強くなってきます!

町 ひどいぞ、これは! 看板が引きちぎられる! ヒューンヒュルルルルーン、キシキシキシキシ! ヒューンヒュルルルルーン、キシキシキシキシ!……

庭 だめだめだめだめ、木も草も倒れてしおまう! ズワーン、シャシャシャーン! ズワーン、シャシャシャーン!……

家 なんとかしてくれ! 壊れる壊れる! ドンドンドドド、ドンドドド! ドンドンドドド、ドンドドド!

地下水 川があふれそうだぞ! ザーンザザーン! ザーンザザーン!

N この凄まじいざわめきに混じって不気味な声が響いてきます。

台風 ウオーン、ここはどこだあ! ウオーン、ここはどこだあ!

N 激しい風のあいまから絞り出されたような重々しい台風の声が聞こえてきました。

台風 ウオーン、ここはどこだあ! ウオーン、ここはどこだあ!

町 ここはわたしの町です。

台風 おまえの町か。ずいぶんちっぽけなところだな。

町 わたしの町をめちゃくちゃにしないでください!

台風 さあ、どうかな。止められるもんなら、止めてみなさい。わたしにはどうすることもできない。誰も、決して誰もわたしを止めることなんてできないんだよ。おまえらの町が束になってかかってきても、おまえらの国がどんなに武器をかき集めてきても、わたしにはかなわないんだからな。

N まったくそのとおりでした。この世の中にどんなに凄い力があっても、台風を止めることはできないのです。家や庭が町に訴えます。

家 なんとかしてください。このままだと屋根が吹き飛んでしまいます!

庭 なんとかしてください。草も木も折れてだめになってしまいます! 町のあなたがなんとか台風を説得してください。

町 わたしには、とてもかなう相手ではありません。

庭 台風に弱点というのはないんですか?

町 まず、ないでしょうね。ただひたすらじっとやりすごすしか手はないでしょう。

台風 ずいぶんとわたしを邪魔者にしてくれるじゃないか。

町 あなたが来ると大変なんです。なんでもかんでも壊していく。壊れたものを直すのにまた一苦労も二苦労もしなくてはならないんです。

台風 そうは言うが、きみらは壊れたものを直すことができるだろう。それに賑やかな仲間もいるだろう。考えてもみてくれよ。わたしは、海をたったひとりで渡って来て、あげくに嫌われたまま、やがて消えていくんだ。この悲しみはきみたちのように安定した世界のものにはわからないだろう! 夜の真っ暗な海を、話し相手もなく、ぐるぐるひとりで回ったまま、渡ってくるんだ。

町 いまはわたしたちが話し相手になりましょう。大した力にはなりませんが。

台風 そりゃ、わたしだって好きこのんで、きみらに被害を与えてるわけじゃない。わたしは台風の宿命を負って、雨を降らせ、風を吹かせているんだ。恵みの雨といって歓迎してくれるところもあるだろう。

町 雨の少ないときは喜ばれます。

台風 そうだろう。

町 でもそれ以上に大きな被害が出るのです。川が溢れたり、風でいろいろなものが倒されてしまう。

台風 それはずいぶん勝手な言い草じゃないか? むかしは大地に何もなかったんじゃないか? そのころの台風は何も文句を言われなかったにちがいない。あとから、きみたち町ができて台風に文句を言うようになったんだ。

町 そうかもしれません。その点に関しては反論はできません。しかし、こう考えた場合どうでしょう。わたしたちの世界にはそれぞれかなわないものがあります。そこでわたしたちは何とか折り合いをつけているんです。それにひきかえ、あなたには何もかなうものがない。何も折り合いをつけることなくやってくる。世の中の道理にあわないと思いませんか。この世に何一つあなたにかなうものがないなんて。

台風 いいや、それは考え違いだ。たしかに力の上ではわたしにかなうものはないだろう。しかしね……

N 台風はひと吹き、ちょっとしょっぱい溜め息のような風を送りこみました。

台風 時がたてば、わたしはきみたちのもとを離れて、遠い海の彼方で消え去ってしまう短い命だ。わたしは命がうらやましい。

町 この世にあるものはみな、壊れたり、死んだり、滅んだりするものです。ほら、そこの庭も、家も、冷蔵庫も、プラムもいつかはなくなってしまうものです。あなただけが消えてしまう運命ではありません。

台風 いや、違う。滅んだり、壊れても、生き残っていくものがある。それは種だ。種はつぎつぎに生まれ変わって命を伝えていくのだ。そんな種がうらやましい。わたしにかなわないものがあるとすれば、種だろう。

N 風がふたたび、やり場のない気持ちをこめるように強く吹きつけました。町も庭も家も暴風雨にあおられましたが、台風がかなわないのは種だというのを聞いて、矢つぎばやにささやき合いました。

町 種だ!

庭 種だ!

家 種だ!

冷蔵庫 種だ!

プラム 種!

N 冷蔵庫の中でじっと身をひそめていたプラムがぷるぷる震えだしました。すると突然、冷蔵庫の扉が開きました。

冷蔵庫 さあ、早く行け!

N プラムは冷蔵庫から家の中に転がり落ちました。風で家が揺れると、プラムはころころと玄関のところまで転がっていきました。

家 さあ、早く行け!

N 家の玄関がばーっと開くとプラムはどんどん転がっていき、庭に飛び出しました。

庭 さあ、早く行け!

N プラムは風にあおられる草に押し出されるように庭を転がっていき、裏道に飛び出しました。

町 さあ、早く行け!

N プラムは裏道の坂をどんどん転がっていくと、水の溢れ出した川べりまで来てしまいました。

地下水 さあ、早く行け!

N プラムは溢れた川の水に飲み込まれると、濁流の勢いに乗って、どんどん川を下っていきました。川の上をぷかぷか浮いたまま、プラムは考えていました。

プラム いったいどこまで行くんだろう。

N プラムは自分の中に眠っている種に声をかけてみましたが、返事はありませんでした。そのころ種は夢の中で考えていたのです。プラムが冷蔵庫の中にいたときと同じように、種は真っ暗なプラムの中でじっと考えていたのです。

種 大きくなるってどんな気分だろう。まず芽を出さなきゃならないな。きっとすばらしいぞ。ぽんっと芽を出すと、まわりの草がぼくを見下ろして言うんだ。よ、チビ助けやっと仲間入りだな。ぼくはうれしくてまた、ぎゅんと背をのばす。仲間の草はそのたびに、やっと一人前だな、あの虫には気をつけろ、あの虫には親切にしろといろいろ教えてくれるにちがいない。

N 種はすばらしい日の光とたっぷりの水分を得て、また、ぎゅんぎゅんのびていきます。草を追い抜いて、木の高さにまで成長します。

種 こうなると、まわりの木から声をかけられるんだ。ずいぶんりっぱなもんだな、きみにあやかりたいもんだとね。でもぼくはまだまだ大きくなるんだ。

N 種はぐんぐんぐんぐん空を目指して大きくなります。

種 プラム フクラム メクラム クライ プラム フクラム メクラム クライ。

N 愉快になって、こんなことを口づさみながらまだまだ大きく、雲を突き抜けて空の上までずんずんのびていきます。そして、ついに月や星たちがいる宇宙まで育っていきます。あたりはしーんと静まりかえって真っ暗ですが、まわりには星がちかちかと一面に散らばってささやきあっているようです。

種 そうしたら、星と話ができるにちがいないな。星は話かけてくるんだ、何万年もひとりぼっちでさびしかったから、きみがここまで育ってくれて、ほんとうにありがたいよってね。ぼくはいろんな話を星から聞くだろうな。きっとぼくは待たれているんだ、いずれ花が咲くまで、実をつけるまで……

N 種は真っ暗な宇宙に枝をはっていくさまを思い描いていました。まるで星のひとつひとつが光る木の実のように見えるほどです。種は力がみなぎるのを感じました。

種 プラム フクラム メクラム クライ。

N やがて枝の隅々にまで花をつけ、果実を実らせていきます。宇宙のほうぼうで赤い果実がぶらさがっているのです。

種 どんなにすばらしいことだろうなあ。宇宙全部がぼくのもののように見えるぞ。星という星がぼくに話かけてくるんだ。でも待てよ。星とおなじように何万年も話をしているわけにはいかない。実はどんどん熟していって、きっと枝から落ちていってしまうんじゃないか。そうだ、そしたら実はどうなるんだ? 実は宇宙の底の方へどんどん落ちていく。真っ暗な世界をずっとずっと落ちていって、そして……

N チャッポーン……そこは静かな夜の海です。夢見る種をかかえたプラムは川に流され、夜の海に浮かんでいたのです。あたりは真っ暗でしたが、空には星がまたたいています。星の声はあまりに遠くて聞こえません。でも耳をすませばプラムの中で種が、くり返し、こうつぶやいているのが聞こえてくるにちがいありません。

種 プラム フクラム メクラム クライ……プラム フクラム メクラム クライ……

N 夜の海はやさしくプラムを運んでいきます。どこへいくのかわかりません。どこにたどりつくのかもわかりません。ただ、希望に満ちた種をくるみこんだプラムは、甘く熟した果実のいい匂いを真っ暗な海にまき散らしながら、ゆっくりと流れていくのです。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

【梗概】

 ある暗く冷たい世界に一つのプラムがあります。プラムは自分の世界に没頭していると、冷蔵庫の声が聞こえてきます。冷蔵庫はプラムが自分の中にいること、ちっぽけな存在であることを告げます。すると今度は、家が冷蔵庫に大きな口を叩かないよう釘をさします。すると次は、庭が家に話しかけ、自分がどれほど変化に富んだ存在かを主張します。そして次には、町が庭に話しかけ、生き物たちを手放したがらない庭を諭します。そこへ台風がやってきます。台風はたったひとりで海を渡ってきてもみんなから嫌われていることに嘆きながら、町に襲いかかります。町は台風が唯一つかなわないと思っているのが種だということを聞きだすと、庭、家、冷蔵庫、プラムへと伝令され、冷蔵庫はプラムを外へ送りだし、家から庭、そして増水した川に流されていきます。プラムは川に流されながら、種に話かけますが、種は夢をみているようでした。種は自分がどんどん大きくなり、ついに宇宙にまで枝を広げる夢を見ています。やがて枝は宇宙の果実を実らせ、ついにその実は真っ暗な海に落ちていきます。プラムは、種の希望を抱えたまま夜の海に流されていくのでした。

 

【解説】

 この作品は、身近なものでも世界観が入れ子型になっていて、これがどんどん外へ開き、また逆に一気に内へ閉じていく、いわば、ミクロからマクロへの尺度の往還を描いたものです。わたしたちが、外界のものとして一様にとらえている事物に、階層的な位置づけをあたえることで、新たなドラマを生まれ、またリーディングという形態の特性を活かせるように、通常の戯曲では扱えない物体や現象を擬人化することで、自在なスケール観が得られればと考えます。

人形浄瑠璃 「闇襖反古縁(やみぶすまほごのゆかり)」脚本

#おうちで浄瑠璃 #おうちで文楽 #おうちで義太夫

 

竹本穣 作

 

人形浄瑠璃

 『闇襖反古縁 (やみぶすまほごのゆかり)』

  

○場所

一 下谷七軒町・橘勾当稽古屋内

二 浅草鳥越明神境内

三 浅草田原町・呉服音羽屋内

四 下谷七軒町・橘勾当内

五 上野山不忍池

 

○人物

橘勾当(八千代)

養女お縫

呉服音羽屋奉公人左右吉

呉服音羽屋主人忠兵衛

番頭源蔵

手代又七

音羽屋隠居孫右衛門

薬種升田屋与平

 

 

 

 天道の道あやまたぬ理が如く、明くればうつつ然れども、諸行成行き慣ればなり。飽く物種の芽を摘めば、明かざる浅き夢模様。つらつらうつらうららけし、刻の午睡の覚束なさ。淡き光ぞ泡立ちて、青き草木を遍はす。空より降つる蟲がごと、ざわめく春の胸陽炎。天の一字を冠に、戴く蚕の吹く糸も、春の産が良しと聞けば、繭の玉にも籠りたる、奥ばゆかしきうす明かり。誰ぞ瞬くものをかや。 

 

一  橘勾当稽古屋内

 

 名に恥じぬ、水のかたどる三味線堀。板塀籬越え渡る、絹より来つる弦の音。芸は身を助くる程の節回し。長唄端唄の音曲に、行春手練の景をなす。座敷小暗き上の座に、口伝教授の橘勾当。向ふ日向に映へて坐す、花の小袖の生娘が、ともに母子と見紛へど、血を分く縁の鳴き交わす、声が証拠の師と門弟。辛き叱責飛ぶよりも、早き渡りか引く鳥の、音を上げ暫し繰り返へす、お縫が指の縺るれば、勾当苦言も良薬と、飲ませる養女のいとおしさ。

橘勾当「ナァお縫や、三味線弾くも構へが大事。背から二の腕指の先、すべて上手の事始め。よき勘所も因って附く。手違ひの運びも、身に堰あつては、淀むばかり。盲(めしい)といへど隠れなき、そなたの悪しき身の姿勢、手に取るまでもないほどに」

 と、たしんなめ、

橘勾当「サァサァ、二の糸巻きは目の高さ、胴傾けて長手をささえ、添へたる右手(めて)に力みなし。ツボの押さえ、撥先きと、弾き語る性根の冴えの三つは一体に」

 と、にくからず、身に沁むほどに、お縫手際の四苦八苦、末たへかねて、

お縫「お師匠さん、出来の悪い弟子でさぞ懲りましょう。芸事の才もなし、言われた事も身に附かず、サワリは師匠の胸ばかり。とりもなおさず、聞き分けのなければ身寄りなき赤の他人のこの私を、里の因果で引き取って、挙句に身の丈余りの嗜み、有難ひやら恥入るやら。三味の構へもつい強(こわ)がちに、手を患わせるうつけ様」

 と恐縮至極。師は師なりに、出来の悪い子ほど可愛い母の道理。

橘勾当「そんな遠慮が上達せぬ元。腹を痛めた子でなくとも、そなたは歴と我が娘。いずれは教授先のかねて目星の武家か良家の縁を得て、恥がましなき花嫁に仕立ててこそ、師となれ母となれ、それよりむしろ母として、我が不自由な身にあれば、満足に親らしきこともしてやれず、かへって事の細かい気の遣ひやうに、わが子の器量、心にくいほど。感謝こそすれ身に余る、世話なる母の不甲斐なさ。せめて師としてなす術を小言にかへて紡ぐゆへ、どうか骨に織り、身に着けておくれ」

 親の願ひは子の肥やし、注げる情は水のごと、しんしん滲むる胸の谷、やがて泉と湧きいだす、目もうろうろと目頭にまで至りけり。

 日なが移ろふ界隈を、織りこむ機(はた)は乙な糸。打(ちょう)と発止(はっし)の爪ハジキ。徒な燕もいさむらし。口の浚いもチントンシャン、博徒も打たぬ撥当り。二上り駒は骰子(さい)次第。三下り駒は振り出しに、四つなる猫の皮切りに、五音こわねで躓ける、稽古双六七転び、八起きで九闘苦戦して、十で上がりの総仕上げ。

 三味の調子に導かれ、丹塗りの担い箱ひっさげて、訪ふ行商薬売り。

升田屋与平「御内儀様はいなさるか」

 と、声を掛ければ、橘勾当、天神に弦を巻きつつ、

橘勾当「何方(いずかた)に」

与平「イヤイヤいまほど三味の音、頼りに爰(ここ)までたどり着き、見れば棹折る稽古仕舞ひ」

お縫「お薬の行商と見受けますが」

 と、それとなく養母に伝ふ娘ぶり。

与平「駿河薬種商でござります。このたび私ども升田屋が六霊膏(りくりょうこう)なる薬を作りました。江戸に店持つ濫觴(らんしょう)に、神田惣録屋敷へ寄り、皆様にお試しいただき、聞くに及んで三味線堀。目病みの効は証し済み。もと正眼と聞き伝てに、勾当様にはいかがと試行喧伝に参った次第」

橘勾当「しかと見えよと思へねども、駿河ときいては放っておかれぬ」

与平「お師匠様も同郷か」

橘勾当「とんと覚えもわずかなれど、もとは城下の町娘。峠の茶屋の縁伝い、江戸は神田の棟梁に、嫁ぎ来したる棟長屋。ようやく男子を得ての細(やせ)所帯、小さき幸の暮らしぶり。ときに襲へる火の厄災、みるみる軒を舐め尽くす。寝入る夫と子を助け出さんと、火の粉や煤の降りしきる、劫火の中を分け入るも、髪は焦げ目は焼け爛れ、為す術もなく、市中一網打尽の焼け野原。一家離散に残りしは我が子大事の嘗人形(なめにんぎょう)。故郷に戻り養生するも、一向消えぬ目の翳(かげ)り、終(つい)に光明立ち消えに、手練の三味が幸いと、身寄りなき児を引き受けて、今の住まひにいたりをり」

与平「コレハ辛い身上呼び起こし、お詫びの言葉もござりません。ひとつこのサシ薬、里の誼(よしみ)只匁(ただもんめ)にてご奉仕。六霊膏と名の謂われ、寒水石に炉眼石、金銀抗中産なれば、鉱物一の貴薬なるを、竜脳黄連薬草に、真珠の粉を混ぜあわせ、加へて緑青古文銭、六つが秘薬を白蜜で、煉ってあわせたサシ薬。水に浸して試しあれ。その効能と問われれば、目を明(めい)にして翳(えい)を去り、赤を退け湿を治め、爛れを除く。ただしその特効なれば劇薬につき、決して経口せぬよう取り扱い、ごく少量にて足る按配」

橘勾当「心得ましょう、有難く頂戴。それより今はなぞり得ぬ景色、なんぞ里の異変を聞かしゃらぬか」

 と、娘時分の城下町、白雲渡る松林に思ひ馳す。

与平「いまもって田舎風情にかわりなし。さてもお師匠様はご存知か、往ぬる道々出会ひたる、峠の道の物の怪を。近づく気配に振り向けば、小僧がひとり現れて、見る間にぐんぐん背を延ばし、やがて木を越え、雲を突き、おののくばかりに達したる。何する事もなきにとて、あまりの奇怪さに、思ひ出すだに身の毛もよだつ」

橘勾当「ソリャ見越し入道のことかいな、なんら恐るるにあるまいに。しばし足許見据へてやれば消え失せると聞く」

 と、笑いまじりにいなせど、傍らでお縫が打ち震へ、師の袖に縋りつき、顔を埋めつくさんばかりの有り様に、膏薬売りも笑みを禁じ得ず、

与平「娘さんまで怖がらせて、相済みませぬ。どうやら今日は罪深い、割に合わない小商ひに付いたもの」

 と担箱から紙風船、ふうっとふくらませて、お縫に差し出す。

与平「これで機嫌を直してくだされ」

 と物売り講釈そこそこに、三味線堀を立ち去りぬ。

 もう一人前の娘かと思へば、まだ女児(こども)、紙風船を突いてはしゃぐお縫の嬌声がふと畏まる。つかのまの風止みに、足痛(あしひ)きの音ぞかすかに聞こえたり。

左右吉「音羽屋の左右吉にござります。お師匠様よりご所望の振袖をお持ちいたしました」

 かねて出入りの呉服屋の丁稚とはいへ、その身ごなしに、不憫やら禍々しいやら心地して、かててくわへてお縫への恋慕の気配察されば、因(ちな)み能(かな)わぬ口裏に、

橘勾当「わざわざ届けてくれずとも、出稽古の折りに寄るものを、他の者はをらぬのか、足引く大儀聞くにつけ、買入れ直に喜べぬ」

 と、邪慳も労(ねぎら)ひの意を酌みて、

左右吉「なにはあれ、お師匠様にお目にかけ、イヤお手許にお持ちしたく馳せ参じた次第にございます」

 と袱紗(ふくさ)の包みをとくあいだ、お縫に物言ひたげな目の遣り場。奉書開けば一目に、着物の上に付けし文、お縫がさっと抜き取るのを見はからひ、

左右吉「いかがでございましょう、綾目も芳し振袖の、お師匠様のお見立てに、添ふ仕上がりと存じます」 

 と、押しいだす。勾当着物を手にとって、

橘勾当「どう、お縫や、これを湯島の大ざらいに着ておいで」

 と、お縫に袖をあてがへば、

お縫「お師匠様、これを私に下さると」

 呆気にとられ、撩乱迫る誂えをためつすがめつ見惚(みと)れいる。

橘勾当「稽古のほかは師と呼ばず。師弟がうちのつけとどけ、人聞き悪しも、親なれば、虫つくことが何より懸念」 

 と、窘(たしな)め言もほどほどに、お縫が喜ぶ有り様をとくと思ひ巡らせて、味わひ難き親心。

お縫「母様(かかさま)こそ意地悪。私をこんなに吃驚(びっくり)させて、ほんにお縫のものと思ってようございますか」

 息もうまくつけぬほど、娘の嬉々とした喜びようが、一体何にかえられよう。

左右吉「お縫さんのはしゃぎようこそ、呉服屋冥利に尽きるといふもの。ここは親子水いらず、晴着談義に花を添へるが一番。とっとと厄介払いいたしませう」

 とお縫に目配せをして、居を発ちぬ。

 歓喜の熱も冷めぬまま、お縫に説いて聞かせるは、勾当師範が役得に、僥倖狂いなき手札。

橘勾当「その振袖はただの飾りとは違ふ、実を言へば、明後日の湯島の大ざらいには多くの弟子が参らするが、なかでも武家溝口様の嫡男、義之助殿が、そなたを見初めていさっしゃる。気に召さるるも、召さらぬも、女めかしき身嗜み、氏より育ちの立つ時世、たんと芸立つ筋を見せ、稽古も精進しておくれ」

 といへば、お縫は返事も上の空、左右吉からの付け文を、披見し文面流し読めば、春闌(た)く候の長閑(のど)けしき、うちにも叢(むら)ぐ薄雲の、俄(にわか)に暗くなりにけり。 

 

二 鳥越明神境内

 

 掘割を通ふ水音、消へがちに。往来の、逢魔が刻のせわしなさ。擦れ違ふ顔も見分けのつけ難く、家路を急ぐ衆庶の中、ひときわ後ろめたさに掻き暮れる、お縫が姿。町のはずれの杳として、この刻誰れもとり越さぬ、惚れ合うた仲でなければ引き合わすこともかなわぬ杜の中。

お縫「左右吉様」

 と声を掛ければ、

左右吉「お縫、よくぞ来てくれた、不粋承知で付け文に、無心の沙汰の烏滸(おこ)なるも、まったく面目ないかぎり」

 と、お縫の手を取れば、

お縫「よくよくの事と思へば、さんざんに悩みに悩んだ末の工面。どうかこれにて火急を凌いでくださりませ」

 と、金子の包み手渡せば、

お縫「願わくば、調達口を問わず語らずに」

左右吉「合点した、そなたが残す金子のぬくもり、値にまさる持ち重り。有難く借り受ける、返済はきっと、恩は忘れぬ」

 と、いとおしげに抱き寄せて、

左右吉「忝(かたじけな)き事の経緯(いきさつ)、迷惑をかけるが、切に容赦。そなたも知るごとく、音羽屋主人は我が父の忠兵衛、音羽屋一人娘のお菊のもとに入り婿養子縁組が不和の素。もと音羽屋の大旦那孫右衛門の一人娘、今は養母のお菊は先の主人を亡くし、子も得なかった後家の身の上に、男鰥(おとこやもめ)の父忠兵衛が婿入り養子縁組で、今や音羽屋の主人。倅の私は、義理の祖父孫右衛門からのれん分けの約束を得るも、先代からの奉公人の目もあって丁稚働き専(もっぱ)らが、かへって傍目(はため)に癪なるか、養母お菊への横恋慕もあるやなしや古参の番頭源蔵は面白くない。折りにつけ婿入り父子への恨みつらみの面当たり。挙句に帳簿勘定の尻が合わぬといひたてて、すべてが主人忠兵衛の仕業となすりつけ、しくじり明かす企み事。大旦那に知れれば沽券大事の商家ゆえ、父子共々に放逐を余儀なくされること必定、幸い謀議を聞きつけば、未然に防ぐ用立てを、そなたに無心の沙汰次第」

 と、藤の英(はなぶさ)たわわなる、小枝をひとつ手折るなり、お縫が胸に差しやって、

左右吉「サァ夜も、じきにとっぷり暮れ行こう、この藤紫が、そなたの足許を照らしてくれやうか」

 と、連れ添って、送る逢瀬はかりそめにあらずや恋の後ろ影。寄りつ添いつのそぞろのうち、離れ難きを喉の奥へ押しとどめ、

お縫「つぎの逢瀬は」

左右吉「春永に」

 と見送りつつ、しばし未練に玉梓の妹の行方を見届けて、思ひまかせぬ歩みの先へ、とっては返す商家店。

 

三 呉服音羽屋内

  

 とうに見世棚仕舞へども、燭に灯りの勘定台、番頭源蔵算盤の、発てたる音に気遣ってきた内儀のお菊に、

源蔵「ご心配なさらず、まだ勘定の残ってますゆえ」 

 と忠義掛け売る言訳に、手代又七引き据へて、大福帳を読み上げる、額(ぬか)を寄せての謀り事。

又七「伊勢屋十両、和泉屋九両、島田屋二十二両也、小池、柏屋同じく五両、黒田屋十七両では」

源蔵「六十八両、反物仕入れが四十二両、しめて百十両、間違いなし」

 帳尻合わぬと騒ぎたてたる又七の未熟をなじり、これでは婿の咎めだてすらかなわなければ、

源蔵「又七またも読み違へたか」

 と、御用金書付帳をのぞきこみ、

又七「どこに読み違へのあるものでしょうか、あらば帳簿の文字にこそ御主人が筆の祖末なゆえ」

 と、勝手な言い訳。かさねて墨入れ上手が商人の、格になぞらふと先代の繰り言。小言をまじえつ墨を入れ、

又七「そもそもが徒な目論見に、謀(たばかり)事は何事も、労少なくして功も得ず」

 粗忽を託つ言い草を束ねて刈ってやらねばと、

源蔵「この痴れ者が。もとはお前が誤算。帳尻合わぬと捲った浅知恵をあたふた持ちかけたのが始まり。とはいへ俄か主人の面の皮を、仕置きの鏝(こて)で鞣(なめ)してやれぬのも口惜し。ましてや大旦那様に漏らした手前、かえって不首尾のとばっちり、我らに跳ね返らぬともかぎらぬ。又七、そこなる反物をこっちへ」

 と、密かに手から手へ、艶めく一反を机の奥へ押入やり、

源蔵「こうして仕入れの不足が祟ったゆえ、帳簿の不始末。わずかな瑕疵(かし)といへど、以て未熟の棚捌き、大店主人の信用揺するに足る、露見したとて笑い草」

 と、煙管打ったる主人面。板戸の音に居ずまいを取り済まし、がらりと、

源蔵「これは大旦那様、お帰りなさいまし」

孫右衛門「勘定し直したのか」

 と、湯上がりたての火照り顔、機嫌のうちをはかりかね、

源蔵「へえ大旦那様、すうっと算盤を弾きましたところ、御用金に間違いはございませぬが」

 源蔵、又七、見合わせて、

源蔵「溝口様よりご所望の、黒羽二重の用意にと、仕入れた黒無垢一反が見当たりませぬ、ご主人の書付け違ひかと思われますが」

孫右衛門「忠兵衛がこと、そんな抜かりはあるまいに」

 帳面むんずと引き寄せる、孫右衛門が肩方に番頭進言して、

源蔵「不審はこれのみならず、帳簿に改竄(かいざん)の墨の跡、脇目も油断もなりませぬ。用心、用心。—國に賊(ぬすびと)、家に鼠、後家に入婿いそぐまじき事なりーとは西鶴永大蔵の喩えよう。

 永らくの隠居暮らしの穏やかさ、不穏の足音聞かざれば、豈(あに)図らんや、さもありや、目はうろたえの雲行きに、燭の灯揺らす隙間風。音もたてず戸を開く、左右吉忍ぶ跛(あしなえ)に、荒ぶる息をととのへて、

左右吉「只今、戻りました」

 と、うちわけ見れば、鳩首の態。孫右衛門が呼び止むるに、もしや遅かりしかと気も急いて、

左右吉「これは大旦那様まで店中に、いかがいたしました、不祥事にでもございましたか」

 と、勘を括れば、

孫右衛門「呉服音羽屋といへば、市中屈指の店舗(みせ)、お上諸衆の御用申しつかるも、全う無類の商ひ身上あればこそ、御膳にしても同じこと、お客の舌を打たせるも仕込み誂えが肝要、お前が父の忠兵衛には、その才量のほど計りかねているところ」

左右吉「もしや、帳簿の尻仕切り合わぬことなれば、心慮くだすな、言い付かって爰に」

 と懐ろから金子の包み取り出だし、

左右吉「主人より万一が時の預かりもの、賊入ることがなきにしも、火の立つことがなきにしも、と当座家人使用人の養ふ支度、勝手ながら案ずる手立てに」

 と出任せ事も必死。合点ゆかぬは一同の気にも揉めたる的の外れ、ますます訝しく、

源蔵「はて面妖な、ただ今、揃った勘定も元の木阿弥。丁稚風情に家業大事の有り金を、託す道理も筋違ひ、ご隠居番頭差しおいて、見世身代への無分別、案ずる手立てとは戯言(たわけごと)。いっかな解せぬ解せぬ、不得手勝手放題の口、使途も不明なれば、ついには先代の名を汚すことにもあらなくに」

 とつらつら述べる諌め言。孫右衛門は金子をためつすがめつ検分して、

孫右衛門「忠兵衛はいずこに」

源蔵「日本橋まで商用とやら」

孫右衛門「左右吉、お前いったいどこからこれを調達したか、見れば包みは質屋桔屋八重の紋、忠兵衛からの預かりなれば、愈々問い質さねばならぬが」

 と聞き分けもよく諭しつつ言い寄れば、

左右吉「親旦那には関わりなき、手前勝手の所存にござります」

孫右衛門「分限に過ぎる金五両、いかに工面した」 

 金子の包みを突き出され、左右吉頑なに押し黙る、サァと催促目の前に、握る金子のきりきりと、口外無用の約束に、益々募る痛ましさ。

源蔵「大旦那様、扨は紛失したる一反が、化けて出でたる癖者か、コリャ一大事。溝口家義之助殿の黒二重、近々執りなす祝言の備え、お相手勾当方の養女お縫なる娘を娶るゆえ、織りあしらいはまかせるとのお言付け、かくもめでたき素地にして、質草となったとなれば、験(げん)悪しき事千万」

 と番頭源蔵の言面に、左右吉面差し火がさして、

左右吉「祝言とは誠にござりますか」

 とやうやく発した一言に、

源蔵「存じておろう、お前は先にも勾当方へ振袖一領遣ったはず」

孫右衛門 「いずれにしても左右吉、お前の奉公ぶりに目をかけてきたつもりであったが、見世の品に手をつけるとはもってのほか、帳尻あわせの質通ひなど、商人にあらざる振舞、叱責放免つゆならぬ。主人が帰宅を待って、その責が所在ともに講ずるか」

 と言い絶つ先に、

左右吉「大旦那様、父を思へば為した所業、責めは一重にわれひとり。とりもなおさずこの身の愚かさ、拭ふ手立てはないものの、まず不始末は身をもって明らかに」

 と戸を開け放ち、飛び出だし、残す灯影の揺るるのみ。咄嗟のことに為すすべなく、しばし見交わす源蔵又七孫右衛門、隠居戸口を出で見れば、跡形もなし宵の闇。月をたよりにと見こう見、見ゆるははるか駕籠舁(かごかき)の提灯流るるばかりなり。

 

四  橘勾当稽古屋内

 

 空咳ひとつ、またひとつ。実なきほどのかよわさに、余程悪しきと案ずるも、病の床に寄り添へば、親が心地ぞすれよかし。子が臥し寝入る災ひが、やうやく情の捌け口と、なすも縁故のあわれなり。衾(ふすま)より漏るる寝息の荒ぶるも、恋路の沙汰か、親身な看取りの後ろめたさか。まやかしの病とばれる気遣ひは、徒や疎かにするまじと、書いては止め、止めては書きつ行状文。認(したた)むものの捗(はかど)らず、はては見苦しさに耐へかねて、

お縫「ナァ母様」

 と声を掛ければ、

橘勾当「まだどこぞ痛むかえ」

 とお縫の額の濡れ布をまさぐる手に手をとって、

お縫「もう熱もなし、心配やるな、母様こそ早う寝てくださりませ」

橘勾当「心配やらねでおくべきか、帰って早々、頭が痛い、腹が痛いと寝込んでしまい、流行病(はやりやまい)かと身を案じ、きついがために待ちわびた湯島の大ざらいも台無しになりねぬ」

お縫「イヤ母様、明後日はまず無理にございませう、大望念願、折角のこととはいえ詮方なし」

 と聞き捨てず、

橘勾当「詮方なしとは気の弱り、きっと明日にはけろりとして。万事兆しは望むもの、望まずいれば、つながるものもつながるまい」

 接穂をとって、

お縫「つながらぬものは望めまい」

橘勾当「ホレ、言った先から口調法、口の虎まで呼び出ださざるともかぎらぬに」

 とお縫の衾を延ばしつつ、

橘勾当「まずはととのえぬかりなく、着物の仕度に」

 と立ちいづれば、

お縫「及ばずに。あれこそ晴にふさわしき、馬子に衣装の一張羅、袖の通しはそのときに、なるべく触れずおきたく思へば」

 と差し止めつつ、

お縫「介抱のほか、あれこれ構ってくれるのを、ほんに嬉しく思へども、かえって咎めて心安く、休まれませぬ。母様こそ休んでくださらねば、われもいっこう寝付かれぬ」

 と嘆願すれば、

橘勾当「さもあるか、偶(たま)が娘の介抱と、とくと親かりたけれども、そなたの体がまず第一、気を揉まさざるも親甲斐のうち、とっくり休んでようなれや、何かござれば呼びかけや」

 と暇どり。親の代わりのありがたさ、あわれなほどに身に滲むる、滲むるがほどの遣る瀬なさ。枕頭の藤の仄明かり、義理に先立つ恋の華、思ひ合う仲あるゆえに、親が手引きの良縁を、袖にしてまで振る袖も、好いた男を救ふがため。情が恋の糧となる、不義理不孝のあらましを、詫び書き付けておくものの、いや増す恋のあだなれば、恩の報いぞ身を捩る。棚に隠せし六霊膏、いざ服さんと手に取って、恐る恐ると口の方(へ)に、近づく刹那の隙間風。庭先音の無ままに、愛おしが増し人影は、すわ春永に左右吉の、手招き身振りに引き寄せられ、聞けば祝言咎め立て、裏切り者の烙印に、質(ただ)すは恋の真相と、なればお縫は書き付けた、心情以て証しとし、合点を得たる左右吉の、恨みなだめる慰めに、声を殺してお互いの泣きつる顔を合わさじと、涙乾かぬそのうちに、なおも覚悟を書き足せば、お縫は母の気散じに、身代(みしろ)に褥(しとね)包み込み、恋の成就を果たすべく、左右吉お縫連れ立って、春が薹立つ宵闇にぞ消えにけり。

 深まるばかりの静けさに、潮の汀のひたひたと、満つるがごとき胸騒ぎ。橘勾当起き出でて、声をかけるも気配なし、床の上の衾触れれば、さて寝入ったかと、寝つきやらねば慰めに、持って入りたる嘗人形、枕に添へて寝穢(いぎたな)き、夜具を幾度も撫で摩り、子守唄こそやさしけれ。細き調べをはたと断つ、打々(ちょうちょう)木戸の打据えに、誰れぞと問へば戸口越へ、音羽屋主人の名乗りあり。いま暫(しばらく)くと錠落して聞きやれば、忠兵衛くぐる軒端先。女主人の勾当の覚えに胸を突かれたり。死ぬるとばかり思ひしが、瞽者(こしゃ)が姿に変わり果て、年季の嵩の紐解けば、紛ふことなき恋女房。

忠兵衛「コレハ、八千代ではあるまいか」

 との声色の覚えに、驚きは勾当も同じ、二十余年も久しきに呼び名呼ぶ声たぐりつつ、姿見えぬが若きまま、夢かあらぬか、かつて焰(ふむら)の餌食になりと思ひ果てど、灰燼の中よりくゆり立つ姿、今爰に往時を告ぐる者のあり、

橘勾当「夢か無礼か存ぜぬが、もしや、忠兵衛さんか」

 つとに信じ難きこと、とて手を握り、締めてはかへす力みばえ、腕にはうねる火傷跡。二の句も継げず、内に引き入れ、どうした因果の戯れに、喜びあふも一時に、

忠兵衛「昔語りはまずあとに、丁稚の左右吉は来なんだか」

 と気色ばみ、

橘勾当「昼間に一度、品を届けに」

 と訝しげなるままに、

忠兵衛「お縫なる娘、そなたの処に居るはず」

橘勾当「生憎(あいにく)病に臥してございます」

忠兵衛「気がつくべくもあるまいが、左右吉はわが倅、ひいてはそなたが産んだ実子の佐吉」

 聞けば動揺隠しおけず、心の底から打ち震へ、

橘勾当「知らで邪慳の節もあらなくに、申し聞きの立ち瀬もなし。ではあの足痛きは火事の折りに、

忠兵衛「いかにも、梁の下より救い出し、今では丁稚の下働き、その子が内の番頭の、謀り事に弄(もてあそ)ばれ、家を出たきり帰らぬに、お前が家の娘御に、祝言の噂聞きつけて脱兎のごとく出でた由、行方手懸かり探らんと、立ち寄る先は、お天道様も隠れて思し召す因果」

橘勾当「こととなれば」

 と床の間に引き具して、

橘勾当「お縫や、お縫」

 と夜具を揺り動かせば、中より出でつ褥の山。

橘勾当「いかにやあらん」

 と慌てふためく指の先、触れし覚えの薬包み、養女の名を呼びつれど、忠兵衛が置き手紙を見いん出し、

忠兵衛「南無三、遅きにいたりしが」

 と声も強張る書付文を読み上ぐれば、勾当の顔色みるみるうちに失せ、心中真偽のほどを諮るべく、長持の内手探れば、置き文慥(たし)かが知れるまで。煮え湯は過ぎて忘るるも、劇薬ならばいかならん。かくにまで決していたる心根を、断ち切らせたが我が身なら、色つけたるもこの体、同じ身にある連理の枝、況(いわ)んや引き裂かれんや、凶事の墨に染めあげて、重ね重ねの吉上を、手ずから失ふ愚にあれば、断腸後悔比類なき。元が伴侶の乱心を、忠兵衛取りなし押し鎮めど、疾(と)く疾く両人の跡をと取り縋る。いかで行方を探るべき、思案懸念ももどかしき、置き文にある大ざらいとは何事と問へば、勾当が門弟湯島にて技倆を披露すると言ふ。応へながらも思ひ巡らせて、今年が春の花見時、お縫連れ立ち行きけるに、上野の山を評するも、薄紅ひの浄土にさもあらん、終にあれば彼のもとへ、と戯れ言を言いつれば、けだし彼の地に違ひなし、さもありやと忠兵衛気負ひ立ち際に、ともに連れ行けと引く袖を、手に手を諌め振りほどき、夜更けてあれば危うきに、と押しとどめるも、気遣ひ無用、いかに夜更けてあろうとも、瞽者に昼夜の区別なし。さりとて二人が先、不慥かなれば、行き処なく、望むべきにや、はからずも帰らぬとも知れず、人気なき間の隙あらば、差す魔が思ひ遂がさぬ用心。と念を重ねて宥めたる拍子、目に飛び込む藤花の一房を手に思ひ改むる。一閃よぎる藤棚は、明神の杜にやあらん、と膝を叩き、三味線堀より流れたる、鳥越川が東方へ馳せ出でにける父忠兵衛。母つ方へは徒(いたずら)に、待つ身のいとど執念(しゅうね)しく、ひしと抱きたる嘗人形。かへすがへすもいとおしさ、子と子を分つ無念さに、降り積む刻を荷負へず、居てど立てども矢も盾も、堪えらぬ闇の底深き、浄土が一歩手前まで、踏み出だせば勝手知る、名馴(なじ)みの三味線堀に落つ、忍川なる掘割を西方一途めざしけり。

  

五 上野山不忍池

 

 縺れあふ足の捌きももどかしく、世につれなき道行の、足許照らす手提灯、一寸先が止むを得ず、出立つお縫左右吉が、影も薄きに行く末を、敢えなく照らすは朧月、二つが影の身をよせて、宛やあらずや不忍の池の畔に辿り来つ。池の蓮の露ほどに、揺れて倦(あぐ)ねて霞みける、命は仮の姿にて、契りかなわぬものなれば、惜しかることもなかりけり。

お縫「左右吉様、その前にひとつ願掛けに」

 とお縫小走る橋掛けに、参るが先の弁財天。朧月夜に浮かびたる、観音堂の飛び石に伝ふお縫が下駄の音。歌舞音曲の芸事に、ご利益ありと伝え聞く。我が身の果つる先のなき諸事はもとより打っちゃって、念じにけるは母様の、御恩御加護に叛きたる、不孝のよすが祓ひ乞ひ、願ひにける師匠への身の安寧は言わずして、芸事の実り豊かを一心に、この身の報いにかへるほど、ひたすら、ただひたすらに諸手を合わせ拝み終へれば、橋の袂に戻り来て、

お縫「思ひ残すこともなきに、いさ」

 と畔を巡りつつ、人見につかぬお山が薮へ分け入れり。上野の山のうち沈む、御本坊の外れ際、鐘楼堂なる時の鐘、傍に聞かんや薮の中、いつにか月も掻き暗れに、提灯の火が頼みに、互いの顔を見る名残り。ひしと抱けば取り落とす、提灯の火が盛るほど、つとにお縫がおののける、瞠目いかにと聞きやれば、見越入道にぞと怖がる口の籠り声。左右吉が背の灯影、みるみるうちに迫り上がり、むっくり入道の姿をなして、薮を覆ひ、天に抜け、襲ひかからんとするほどに、一打雷動耳鳴りがごと時の鐘、肝も潰れんと悲鳴も漏れ出づれば、入道の姿も失せ、提灯の灯の消え入りて、残るは辺り四方の全き闇。二人が他になき世界。しばし心をとりなすまで、互いが腕に腕の中、永劫に斯うしてありたくも、闇が明ければまた憂き世、離れ難きを断ち切って、

左右吉「覚悟はよいな」

お縫「あい」

 と応ふるを潮に、左右吉は腕をほどき、お縫が髪の簪(かんざし)を引き抜き握りなおして、顔が見えぬを幸いと、お縫のもとに振り降ろす。薮音刹那物の怪か、お縫が大きく転ぶ物音に、仕損じたかと手のさぐり、雲間の月の明かりさせば蹲る、胸に簪突き立つ橘勾当。

左右吉「こはいかに」

 と絶句して、

お縫「母様、母様」 

 とお縫は縋りつく。

 胸中抉(えぐ)る簪を、頼りに声を発すれば、

橘勾当 「許しやれ、そなたらが命、可借(あたら)祖末にするなかれ、あの世で契り交わすより、どうにかこの世で交わしやれ。左右吉、いや佐吉、これに見覚えあるまいか」

 と嘗人形を差し出だし、

左右吉「かすかに、いやこれは、私が幼き頃、肌身離さぬ愛着の、嘗人形にやあらぬか、もしや、そなたは」

 勾当深く頭を垂れ、

橘勾当「産みの親とは知らざるに、お縫を娶るが我が子なれば、これほど嬉しきことなきを、それを引き裂き、思ひ詰めれば寂しかる薮の果てへと追いやるも、親が無闇の為し様に、許しやあれ、許しやあれ」

 と簪を引き抜いて、我が子の所業と為さぬべく、おのが喉元突きん立て、息も絶へたる闇の果て。お縫左右吉泣きしだく、声も掠れてとどかざる、目病みの果てのうす明かり、あける襖の彼方より、白々夜の明け初むる、空渡り来る水鳥の、憩ひとぞなる不忍の、池の水面に揺蕩(たゆた)ふは、鳥啼き交わす響きなり。

 

 了